・・・人間は、自ら造った社会のために、いまや、不具者にされ、人間性を忘れんとさせられている。 そして、ある者は、後から来る無邪気な子供を見て、憐れむのである。その無邪気も、光明も希望も、快活も、やがて奪い去られてしまって、疲れた人として、街頭・・・ 小川未明 「人間否定か社会肯定か」
・・・そして、粘土細工、積木細工、絵草紙、メンコ、びいどろのおはじき、花火、河豚の提灯、奥州斎川孫太郎虫、扇子、暦、らんちゅう、花緒、風鈴……さまざまな色彩とさまざまな形がアセチリン瓦斯やランプの光の中にごちゃごちゃと、しかし一種の秩序を保って並・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・この路地をなぜ雁次郎横丁と呼ぶのか、成駒屋の雁次郎とどんなゆかりがあるのか、私は知らないが、併し寿司屋や天婦羅屋や河豚料理屋の赤い大提灯がぶら下った間に、ふと忘れられたように格子のはまったしもた家があったり、地蔵や稲荷の蝋燭の火が揺れたりし・・・ 織田作之助 「世相」
・・・旅館では河豚を出さぬ習慣だから、客はわざわざ料亭まで足を運ぶ、その三町もない道を贅沢な自動車だった。ピリケンの横丁へ折れて行った。 間もなく、その料亭へよばれた女をのせて、人力車が三台横丁へはいった。女たちは塗りの台に花模様の向革をつけ・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・悲しい事にはこの四郎はその後まもなく脊髄病にかかって、不具同様の命を二三年保っていたそうですが、死にました。そして私は、その墓がどこにあるかも今では知りません。あきらめられそうでいてて、さて思い起こすごとにあきらめ得ない哀別のこころに沈むの・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・ けれどもその後、だんだんおしげと六蔵の様子を見ると、いかにも気の毒でたまりません。不具のうちにもこれほど哀れなものはないと思いました。唖、聾、盲などは不幸には相違ありません。言うあたわざるもの、聞くあたわざる者、見るあたわざる者も、な・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・人間の教養として文学の趣味はあっても倫理学の素養のないということは不具であって、それはその人の美の感覚に比し、善の感覚が鈍いことの証左となり、その人の人間としての素質のある低さと、頽廃への傾向を示すものである。美の感覚強くして善の関心鈍きと・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ 恋愛は相互に孤立しては不具である男・女性が、その人間型を完うせんために融合する作用であり、「を味う」という法則でなく、「と成る」という法則にしたがうものであり、その結果として両者融合せる新しき「いのち」が生誕するのだ。 子どもの生・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・上等兵は、ここで自分までも上官の命令に従わなくって不具者にされるか、或は弾丸で負傷するか、殺されるか、――したならば、年がよってなお山伐りをして暮しを立てている親爺がどんなにがっかりするだろうか、そのことを思った。――老衰した親爺の顔が見え・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ 負傷者は、死ぬまで不自由と苦痛を持ってまわらなければならない、不具者だ。 彼等は、おかみから、もとの通りの生きている手や足や耳を弁償して貰いたかった。一度切り取られた脚は、それを生れたまゝのもとの通りにつけ直すことは出来ない。それ・・・ 黒島伝治 「氷河」
出典:青空文庫