・・・ただその大部分がその上に積った洪積の赤砂利や※す。」私が挨拶しましたらその人は少しきまり悪そうに笑って、「なあに、おうちの生徒さんぐらい大きな方ならあぶないこともないのですが一寸来てみたところです。」と云うのでした。なるほど私たちの中で・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・従って、部分部分の雰囲気は画面に濃く、且つ豊富なのであるが、この作の総体を一貫して迫って来る或る後味とでも云うべきものが、案外弱いのは何故だろう。私は、部分部分の描写の熱中が、全巻をひっくるめての総合的な調子の響を区切ってしまっていると感じ・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・ 浜町も矢の倉に近い方は大部分焼けたが、幸に酒井家の添邸は焼け残った。神戸家へ重々世話になるのは気の毒だと云うので、宇平一家はやはり遠い親戚に当る、添邸の山本平作方へ、八日の辰の刻過に避難した。 三右衛門が遺族は山本平作方の部屋・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・過するということは不可能なことであるから、何事をも正確に生き生きと書き得られるということは所詮それは夢想に同じであるが、私たちにしても作者の顔や過去を知っているときは、もうその作家の作物に対して殆ど大部分正確な批判は下せていない。殊に、作家・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・ たとい川端氏が日本絵の具をもって油絵以上のことをなし得たとしても、それが部分的であって画として効果がないとすれば、自分は半ば喜ぶとともに半ば悲しまなくてはならない。そうしてこの失敗の原因を探るとき、自分はさらに悲しむべき事実に逢着する・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫