・・・海翻車の歩行は何となくタンクを想い出させる。ガスマスクを付けた人間の顔は穀象か何かに似ている。今後の戦争科学者はありとあらゆる動物の習性を研究するのが急務ではないかという気がして来る。 光の加減で烏瓜の花が一度に開くように、赤外光線でも・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・海翻車の歩行はなんとなくタンクを思い出させる。ガスマスクをつけた人間の顔は穀象か何かに似ている。今後の戦争科学者はありとあらゆる動物の習性を研究するのが急務ではないかという気がして来る。 光のかげんでからすうりの花が一度に開くように、赤・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・何かの病気で歩行が困難らしい。妙な足取りでよちよち歩いて来るそばを、駅員がその女の持ち物らしいバスケットをさげてすましてついて来た。改札口を出るとその駅員は、草津電鉄のほうを指さして何か教えているらしかった。女が行ってしまうとその駅員は、改・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・しかしそれよりも、もっと直接に自覚的な筋肉感覚に訴える週期的時間間隔はと言えば、歩行の歩調や、あるいは鎚でものをたたく週期などのように人間肢体の自己振動週期と連関したものである。舞踊のステップの週期も同様であって、これはまた音楽の律動週期と・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・そもそも日本の女の女らしい美点――歩行に不便なる長い絹の衣服と、薄暗い紙張りの家屋と、母音の多い緩慢な言語と、それら凡てに調和して動かすことの出来ない日本的女性の美は、動的ならずして静止的でなければならぬ。争ったり主張したりするのではなくて・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・子規はセル、余はフランネルの制服を着て得意に人通りの多い所を歩行いた事を記憶している。その時子規はどこからか夏蜜柑を買うて来て、これを一つ食えと云って余に渡した。余は夏蜜柑の皮を剥いて、一房ごとに裂いては噛み、裂いては噛んで、あてどもなくさ・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・――あの音はいやに伸びたり縮んだりするなと考えながら歩行くと、自分の心臓の鼓動も鐘の波のうねりと共に伸びたり縮んだりするように感ぜられる。しまいには鐘の音にわが呼吸を合せたくなる。今夜はどうしても法学士らしくないと、足早に交番の角を曲るとき・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
一 ぶらりと両手を垂げたまま、圭さんがどこからか帰って来る。「どこへ行ったね」「ちょっと、町を歩行いて来た」「何か観るものがあるかい」「寺が一軒あった」「それから」「銀杏の樹が・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・それから公園へでも行くと角兵衛獅子に網を被せたような女がぞろぞろ歩行いている。その中には男もいる。職人もいる。感心に大概は日本の奏任官以上の服装をしている。この国では衣服では人の高下が分らない。牛肉配達などが日曜になるとシルクハットでフロッ・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・それは歩行する人以外に、物音のする車馬の類が、一つも通行しないためであった。だがそればかりでなく、群集そのものがまた静かであった。男も女も、皆上品で慎み深く、典雅でおっとりとした様子をしていた。特に女性は美しく、淑やかな上にコケチッシュであ・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
出典:青空文庫