・・・「やはり本意を遂げたと云う、気のゆるみがあるのでございましょう。」「さようさ。それもありましょう。」 忠左衛門は、手もとの煙管をとり上げて、つつましく一服の煙を味った。煙は、早春の午後をわずかにくゆらせながら、明い静かさの中に、・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・が、そう云う偉い人を知らずにいるのは不本意だったから、その飯田蛇笏なるものの作句を二つ三つ尋ねて見た。赤木は即座に妙な句ばかりつづけさまに諳誦した。しかし僕は赤木のように、うまいとも何とも思わなかった。正直に又「つまらんね」とも云った。する・・・ 芥川竜之介 「飯田蛇笏」
・・・が、出会わずにすませるのは不本意のことも確かである。云わば彼の心もちは強敵との試合を目前に控えた拳闘家の気組みと変りはない。しかしそれよりも忘れられないのはお嬢さんと顔を合せた途端に、何か常識を超越した、莫迦莫迦しいことをしはしないかと云う・・・ 芥川竜之介 「お時儀」
良平はある雑誌社に校正の朱筆を握っている。しかしそれは本意ではない。彼は少しの暇さえあれば、翻訳のマルクスを耽読している。あるいは太い指の先に一本のバットを楽しみながら、薄暗いロシアを夢みている。百合の話もそう云う時にふと・・・ 芥川竜之介 「百合」
・・・立花は品位に打たれて思わず頭が下ったのである。 ものの情深く優しき声して、「待遠かったでしょうね。」 一言あたかも百雷耳に轟く心地。「おお、もう駒を並べましたね、あいかわらず性急ね、さあ、貴下から。」 立花はあたかも死せ・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・しかれどもその姿をのみ見て面を見ざる、諸君はさぞ本意なからむ。さりながら、諸君より十層二十層、なお幾十層、ここに本意なき少年あり。渠は活きたるお貞よりもむしろその姉の幽霊を見んと欲して、なお且つしかするを得ざるものをや。明治二十九年二月・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・ 小暇を得て、修善寺に遊んだ、一――新聞記者は、暮春の雨に、三日ばかり降込められた、宿の出入りも番傘で、ただ垂籠めがちだった本意なさに、日限の帰路を、折から快晴した浦づたい。――「当修善寺から、口野浜、多比の浦、江の浦、獅子浜、馬込崎と・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・夫人 (もの足りなさに、本意無理にもお許し下さいましたか。……その上なおお言葉に甘えますようですけれど、お散歩の方へ……たとい後へ離れましても、御一所に願えますと、立派に人目が忍べます。――貴方(弱く媚どうぞ、お連れ下さいましな。画・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・は、何時になったらば消えるであろうか、金銭を弄び下等の淫楽に耽るの外、被服頭髪の流行等極めて浅薄なる娯楽に目も又足らざるの観あるは、誠に嘆しき次第である、それに換うるにこれを以てせば、いかばかり家庭の品位を高め趣味的の娯楽が深からんに、躁狂・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・お繁さんは兄の冷然たる顔色に落胆した風で、兄さんは結婚してからもう駄目よと叫んだ。岡村は何に生意気なことをと目に角立てる。予は突然大笑して其いざこざを消した。そうして話を他へ転じた。お繁さんは本意なさそうにもう帰りましょうと云い出して帰る。・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
出典:青空文庫