・・・何でも、同じ御堂に詣っていた連中の中に、背むしの坊主が一人いて、そいつが何か陀羅尼のようなものを、くどくど誦していたそうでございます。大方それが、気になったせいでございましょう。うとうと眠気がさして来ても、その声ばかりは、どうしても耳をはな・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・ 二 斉広の持っている、金無垢の煙管に、眼を駭かした連中の中で、最もそれを話題にする事を好んだのは所謂、お坊主の階級である。彼等はよるとさわると、鼻をつき合せて、この「加賀の煙管」を材料に得意の饒舌を闘わせた。・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・ とすぐ答えたのはあばれ坊主の栗原です。先生が頭を振られました。「二枚です」と今度はおとなしい伊藤が手を挙げながらいいました。「よろしい、その通り」 僕は伊藤はやはりよく出来るのだなと感心しました。 おや、僕の帽子はどう・・・ 有島武郎 「僕の帽子のお話」
・・・橋と正面に向き合う処に、くるくると渦を巻いて、坊主め、色も濃く赫と赤らんで見えるまで、躍り上がる勢いで、むくむく浮き上がった。 ああ、人間に恐れをなして、其処から、川筋を乗って海へ落ち行くよ、と思う、と違う。 しばらく同じ処に影を練・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ けれども、厭な、気味の悪い乞食坊主が、村へ流れ込んだと思ったので、そう思うと同時に、ばたばたと納戸へ入って、箪笥の傍なる暗い隅へ、横ざまに片膝つくと、忙しく、しかし、殆んど無意識に、鳥目を。 早く去ってもらいたさの、女房は自分も急・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・酔って来ると、随分面白い坊主で、いろんなことをしゃべり出す。それとなく、吉弥の評判を聴くと、色が黒いので、土地の人はかの女を「おからす芸者」ということを僕に言って聴かせたことがある。これを聴かされた日、僕は、帰って来てから吉弥にもっと顔をみ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・参詣人が来ると殊勝な顔をしてムニャムニャムニャと出放題なお経を誦しつつお蝋を上げ、帰ると直ぐ吹消してしまう本然坊主のケロリとした顔は随分人を喰ったもんだが、今度のお堂守さんは御奇特な感心なお方だという評判が信徒の間に聞えた。 椿岳が浅草・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・が、日本では菜食党の坊主は皆血色のイイ健康な面をしている。日本の野菜料理が衛養に富んでるのは何よりこれが第一の証拠だ、」というのが鴎外の持論であった。「牛や象を見たまえ、皆菜食党だ。体格からいったら獅子や虎よりも優秀だ。肉食でなければ営・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ 足のあるところは、青い青い海の、うねりうねる波の上になっていて、ただ黒坊主のように、三つの影が、ぼんやりと空間に浮かんで見えたのであります。 これを見た、みんなのからだは、急にぞっとして身の毛がよだちました。「いつか行方のわか・・・ 小川未明 「黒い人と赤いそり」
・・・たちまち、若木は坊主となり、野菜の葉は、穴だらけになってしまう。そうなってもちょうをきれいだなどというのは、ただふらふらしている遊び人だけで百姓や、また草木をかわいがる人間は、そうはいわない。一滴からだについたら、死んでしまうような殺虫剤で・・・ 小川未明 「冬のちょう」
出典:青空文庫