・・・虫歯封じに箸を供うる辻の坂の地蔵菩薩。時雨の如意輪観世音。笠守の神。日中も梟が鳴くという森の奥の虚空蔵堂。―― 清水の真空の高い丘に、鐘楼を営んだのは、寺号は別にあろう、皆梅鉢寺と覚えている。石段を攀じた境内の桜のもと、分けて鐘楼の礎の・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・その笠を被って立てる状は、かかる苦界にある娘に、あわれな、みじめな、見すぼらしい俄盲目には見えないで、しなびた地蔵菩薩のようであった。 親仁は抱しめもしたそうに、手探りに出した手を、火傷したかと慌てて引いて、その手を片手おがみに、あたり・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・北辰妙見菩薩を拝んで、客殿へ退く間であったが。 水をたっぷりと注して、ちょっと口で吸って、莟の唇をぽッつり黒く、八枚の羽を薄墨で、しかし丹念にあしらった。瀬戸の水入が渋のついた鯉だったのは、誂えたようである。「出来た、見事々々。お米・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・浄行大菩薩といい、境内の奥の洗心殿にはいっているのだが、霊験あらたかで、たとえば眼を病んでいる人はその地蔵の眼に水を掛け、たわしでごしごし洗うと眼病が癒り、足の悪い人なら足のところを洗うと癒るとのことで、阿呆らしいことだけれど年中この石地蔵・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・「予はかつしろしめされて候がごとく、幼少の時より学文に心をかけし上、大虚空蔵菩薩の御宝前に願を立て、日本第一の智者となし給へ。十二の歳より此の願を立つ」 日蓮の出家求道の発足は認識への要求であった。彼の胸中にわだかまる疑問を解くにた・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・如何にも日本武士的、鎌倉もしくは足利期的の仏であるが、地蔵十輪経に、この菩薩はあるいは阿索洛身を現わすとあるから、甲を被り馬に乗って、甘くない顔をしていられても不思議はないのである。山城の愛宕権現も勝軍地蔵を奉じたところで、それにつづいて太・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・卯の歳 文珠菩薩守本尊 金と朱で書いた「お守」だった。 マルキストにお守では、どうにもおさまりがつかない、俺は独りでテレてしまった。 中を開けてみると「文珠菩薩真言」として、朝鮮文字のような字体で、「オン・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・何かしら人の子ではなくて何かの菩薩のような気がする。 日本人としての自分にはベラスケズのインファンタ、マリア、マルゲリタよりもこの方がいい。デュラアよりもホルバインよりもこの方がいい。 専門家に云わせると、あるいは右の頬の色が落着か・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・浅草の観音菩薩は河水の臭気をいとわぬ参詣者にのみ御利益を与えるのかも知れない。わたくしは言問橋や吾妻橋を渡るたびたび眉を顰め鼻を掩いながらも、むかしの追想を喜ぶあまり欄干に身を倚せて濁った水の流を眺めなければならない。水の流ほど見ているもの・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・ 疾翔大力と申しあげるは、施身大菩薩のことじゃ。もと鳥の中から菩提心を発して、発願した大力の菩薩じゃ。疾翔とは早く飛ぶということじゃ。捨身菩薩がもとの鳥の形に身をなして、空をお飛びになるときは、一揚というて、一はばたきに、六千由旬を行き・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
出典:青空文庫