・・・五六月頃の春の初めには、此の山中にも、うす緑色の色彩は柔かに艶かにあるものをと夢幻的の感じに惹き入られた。 昼過ぎになると、日は山を外れて温泉場の屋根を紅く染めた。遠く眺めると彼方の山々も、野も、河原も、一様に赤い午後の日に色どられてい・・・ 小川未明 「渋温泉の秋」
・・・将棋の盤面は八十一の桝という限界を持っているが、しかし、一歩の動かし方の違いは無数の変化を伴なって、その変化の可能性は、例えば一つの偶然が一人の人間の人生を変えてしまう可能性のように、無限大である。古来、無数の対局が行われたが、一つとして同・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・自己の才能の可能性を無限大に信じた人の自信の声を放ってのた打ちまわっているような手であった。この自信に私は打たれて、坂田にあやかりたいと思ったのだ。いや私は坂田の中に私の可能性を見たのである。本当いえば、私は佐々木小次郎の自信に憧れていたの・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・わずか数浬の遠さに過ぎない水平線を見て、『空と海とのたゆたいに』などと言って縹渺とした無限感を起こしてしまうなんぞはコロンブス以前だ。われわれが海を愛し空想を愛するというなら一切はその水平線の彼方にある。水平線を境としてそのあちら側へ滑り下・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・それは、しかし、無限の生命に眩惑されるためではなかった。私は深い絶望をまのあたりに見なければならなかったのである。何という錯誤だろう! 私は物体が二つに見える酔っ払いのように、同じ現実から二つの表象を見なければならなかったのだ。しかもその一・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・円とは……何だッたけナ……円とは無限に多数なる正多角形とか何とか言ッたッけ。」と、真面目である。「馬鹿!」「何んで?」「大馬鹿!」「君よりは少しばかり多智な積りでいたが。」「僕の聞いたのは其円じゃアないんだ。縁だ。」・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・その川が平らな田と低い林とに連接する処の趣味は、あだかも首府が郊外と連接する処の趣味とともに無限の意義がある。 また東のほうの平面を考えられよ。これはあまりに開けて水田が多くて地平線がすこし低いゆえ、除外せられそうなれどやはり武蔵野に相・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・その他のものはどうせことごとく生滅する夢幻にすぎないのだから、恐るべきは過ちや、失則や、沈淪ではなくして、信仰を求める誠の足りなさである。 二 母性愛 私の目に塵が入ると、私の母は静かに私を臥させて、乳房を出して乳汁・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・人間の智慧という奴が無限だか有限だかも人間の智慧では分らないから可笑いのだよ。人間の智慧が無限ならば事物を解釈し悉せるように思うだろうがこれもあやしいのサ。気の毒だけれども誰も人智の有限と無限とを智慧の上から推して断定のできるものはまず無さ・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・のも、こういう児であったればこそと先刻の事を反顧せざるを得なくもなり、また今残り餌を川に投げる方が宜いといったこの児の語も思合されて、田野の間にもこういう性質の美を持って生れる者もあるものかと思うと、無限の感が涌起せずにはおられなかった。・・・ 幸田露伴 「蘆声」
出典:青空文庫