・・・……が、底ともなく、中ほどともなく、上面ともなく、一条、流れの薄衣を被いで、ふらふら、ふらふら、……斜に伸びて流るるかと思えば、むっくり真直に頭を立てる、と見ると横になって、すいと通る。 時に、他に浮んだものはなんにもない。 この池・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ 渠は冷い汗を流した。知らずに聞いた路なのではなかったのである。「御信心でございますわね。」 と、熟と見た目を、俯目にぽッと染めた。 むっくりとした膝を敲いて、「それは御縁じゃ――ますます、丹、丹精を抽んでますで。」・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ 押並んで、めくら縞の襟の剥げた、袖に横撫のあとの光る、同じ紺のだふだふとした前垂を首から下げて、千草色の半股引、膝のよじれたのを捻って穿いて、ずんぐりむっくりと肥ったのが、日和下駄で突立って、いけずな忰が、三徳用大根皮剥、というのを喚・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・格子戸外のその元気のいい声に、むっくり起きると、おっと来たりで、目は窪んでいる……額をさきへ、門口へ突出すと、顔色の青さをあぶられそうな、からりとした春爛な朝景色さ。お京さんは、結いたての銀杏返で、半襟の浅黄の冴えも、黒繻子の帯の艶も、霞を・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・がふと夜中に眼を覚ましてむっくり起き上った。そして、泣きもせず、その不思議でたまらぬというような眼をきょとんと瞠いて、鉛のようにじっとしているのだ。きょとんとした眼で……。 新吉は思わず足を停めて、いつまでもその子供を眺めていた。その子・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・ そして天下茶屋のアパートの前へ車をつけると、シートの上へ倒れていた彼はむっくり起き上って、袂の中から五円紙幣を掴み出すと、それをピリッと二つに千切って、その半分を運転手に渡した。そして、何ごともなかったように、アパートの中へはいって行・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・すると自分はそうだそうだ、おれは派手な方がいいんだ、陽気にやってくれと言って、ここで死んでちゃ邪魔なんだろうとむっくり起き上って一緒に騒ぎだし、到頭自分のためのお通夜の仲間にはいってしまったという夢である。それほど寂しがり屋なのだ。 し・・・ 織田作之助 「道」
・・・ 彼等は、人が這入って来るたびに、痩せた蒼い顔を持ち上げて、期待の表情を浮べ、這入ってきた者をじっと見た。むっくり半身を起して、物ほしげな顔をするのは凍傷の伍長だった。長く風呂に這入らない不潔な体臭がその伍長は特別にひどかった。 栗・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・城下まちの、古い静かな割烹店へ、二度、三度、ごはんを食べに行っているうちに、少年のお洒落の本能はまたもむっくり頭をもたげ、こんどは、それこそ大変なことになりました。芝居で見た「め組の喧嘩」の鳶の者の服装して、割烹店の奥庭に面したお座敷で大あ・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・そのときポケットの中の高価の煙草を思い出し、やたらむしょうに嬉しくなって、はじかれたように、むっくり起きた。ふるえる手先で煙草の封をきって一本を口にくわえた。私のすぐうしろ、さらさらとたしかに人の気配がした。私はちっともこわがらず、しばらく・・・ 太宰治 「狂言の神」
出典:青空文庫