・・・よしやその母子に一銭の恵みを垂れずとも、たれか憐れと思わざらん。 しかるに巡査は二つ三つ婦人の枕頭に足踏みして、「おいこら、起きんか、起きんか」 と沈みたる、しかも力を籠めたる声にて謂えり。 婦人はあわただしく蹶ね起きて、急・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・耽るに至れるは勢の自然である、堕落するが当然であると云わねばならぬ、憐むべし彼等と雖も、生れながらの下劣性あるにあらず、彼等の誤信と怠慢とは、今日の不幸を招いだので時に自ら恥ずる感あるべきも、始め神の恵みを疎にして、下劣界に迷入せる彼等は、・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・二人は互いに手をとって涙の糸をより合わせ、これからさき神の恵みに救われるような事があったらば、互いに持った涙の繩を結び合わせようと約束した。 この事あった翌々日、おとよさんは里へ帰ってしもうた。そうしてついに隣へ帰って来なかった。省作も・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・相思の恋人を余儀なく人の夫にして近くに見ておったという悲惨な経過をとった人が、ようやく春の恵みに逢うて、新しき生命を授けられ、梅花月光の契りを再びする事になったのはおとよの今宵だ。感きわまって泣くくらいのことではない。 おとよはただもう・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・「出雲なる神や結びし淡島屋、伊勢八幡の恵み受けけり」という自祝の狂歌は縁組の径路を証明しておる。媒合わされた娘は先代の笑名と神楽坂路考のおらいとの間に生れた総領のおくみであって、二番目の娘は分家させて質屋を営ませ、その養子婿に淡島屋嘉兵衛と・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ が、この不しだらな夫人のために泥を塗られても少しも平時の沈着を喪わないで穏便に済まし、恩を仇で報ゆるに等しいYの不埒をさえも寛容して、諄々と訓誡した上に帰国の旅費まで恵み、あまつさえ自分に罪を犯した不義者を心から悔悛めさせるための修養・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・どうぞ葬いの費用を多少なりともお恵み下さいまし。」 これを聞くと、見物の女達は一度にわっと泣き出しました。 爺さんは両手を前へ出して、見物の一人一人からお金を貰って歩きました。 大抵な人は財布の底をはたいて、それを爺さんの手にの・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・いや、やっぱり神さまのお恵みでございましょう。 私は、そう信じて安心しておりたいのでございますけれども、どうも、年とって来ると、物慾が起り、信仰も薄らいでまいって、いけないと存じます。・・・ 太宰治 「葉桜と魔笛」
・・・前にも述べたように自然の恵みが乏しい代わりに自然の暴威のゆるやかな国では自然を制御しようとする欲望が起こりやすいということも考えられる。全く予測し難い地震台風に鞭打たれつづけている日本人はそれら現象の原因を探究するよりも、それらの災害を軽減・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・その時譲りを受けたるヘンリーは起って十字を額と胸に画して云う「父と子と聖霊の名によって、我れヘンリーはこの大英国の王冠と御代とを、わが正しき血、恵みある神、親愛なる友の援を藉りて襲ぎ受く」と。さて先王の運命は何人も知る者がなかった。その死骸・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
出典:青空文庫