・・・この間に立って論難批評したり新脚本を書いたりするはルーテルが法王の御教書を焼くと同一の勇気を要する。『桐一葉』は勿論『書生気質』のようなものではない。中々面白い。花見の夢の場、奴の槍踊の処は坪内君でなくてアレほど面白く書くものは外にあるまい・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・「やまがらが、お湯を飲んだら、舌を焼くだろうかね。」と、吉雄は、小田にたずねました。「お湯を飲めば、舌を焼くさ。」「死ぬだろうね?」「ああ、死ぬかもしれないよ。」 吉雄は、もう、じっとしていることができませんでした。さっ・・・ 小川未明 「ある日の先生と子供」
正ちゃんは まだ ふとい バットを ふれなかったので、きょねんは おうえんだんちょうに なりました。正ちゃんは はやく せんしゅに なりたかったのです。 きょうは ことしの はつしあいでした。正ちゃんは ほけつで きて いると、あ・・・ 小川未明 「はつゆめ」
・・・ 学生時代に、その講義を聴いた小泉八雲氏は、稀代な名文家として知られていますが、たとえば、夏の夜の描写になると、殆んど、熱した空気が、肌に触れるようにまた、氏の好めるやさしい女性が、さゝやく時には、その息が、自分の顔にまで、かゝるように・・・ 小川未明 「読むうちに思ったこと」
・・・けれどもこの汁は、どじょう、鯨皮、さわら、あかえ、いか、蛸その他のかやくを注文に応じて中へいれてくれ、そうした魚のみのほかにきまって牛蒡の笹がきがはいっていて、何ともいえず美味いのである。私は味が落ちていないのを喜びながら、この暑さにフーフ・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・魚の焼く匂いが薄暗い台所から漂うて来たり、突然水道の音が聴えたりした。佐伯は思い掛けない郷愁をそそられ、毎日この道を通ろうと心に決めた。三丁行くと道は突き当った。左手は原っぱで人夫が二三人集って塵埃の山を焼いていた。咳をしながら右へ折れて三・・・ 織田作之助 「道」
・・・のかやく飯と粕じるなどで、いずれも銭のかからぬいわば下手もの料理ばかりであった。芸者を連れて行くべき店の構えでもなかったから、はじめは蝶子も択りによってこんな所へと思ったが、「ど、ど、ど、どや、うまいやろが、こ、こ、こ、こんなうまいもんどこ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・枯萱を刈って山を焼く。春になると蕨。蕗の薹。夏になると溪を鮎がのぼって来る。彼らはいちはやく水中眼鏡と鉤針を用意する。瀬や淵へ潜り込む。あがって来るときは口のなかへ一ぴき、手に一ぴき、針に一ぴき! そんな溪の水で冷え切った身体は岩間の温泉で・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がって・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・積んで山林田畑の幾町歩は内々できていそうに思わるれど、ここの主人に一つの癖あり、とかく塩浜に手を出したがり餅でもうけた金を塩の方で失くすという始末、俳諧の一つもやる風流気はありながら店にすわっていて塩焼く烟の見ゆるだけにすぐもうけの方に思い・・・ 国木田独歩 「置土産」
出典:青空文庫