・・・しかるべき学校は出たのだそうだが、ある会社の低い処を勤めていて、俳句は好きばかり、むしろ遊戯だ。処で、はじめは、凡俳、と名のったが、俳句を遊戯に扱うと、近来は誰も附合わない。第一なぐられかねない。見ずや、きみ、やかなの鋭き匕首をもって、骨を・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・……かわいいのに目がないから、春も秋も一所だが、晴の遊戯だ。もう些と、綺麗な窓掛、絨毯を飾っても遣りたいが、庭が狭いから、羽とともに散りこぼれる風情の花は沢山ない。かえって羽について来るか、嘴から落すか、植えない菫の紫が一本咲いたり、蓼が穂・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・自分が牛舎の流しを出て台所へあがり奥へ通ったうちに梅子とお手伝いは夕食のしたくにせわしく、雪子もお児もうろうろ遊んでいた、民子も秋子もぶらんこに遊んでいた。ただ奈々子の姿が見えなかった。それでも自分はあえて怪しみもせず、今井とともに門を出た・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・と、U氏はYの悔悛に多少の同情を寄せていたが、それには違いなくても主人なり恩師なりの眼を掠めてその最愛の夫人の道ならぬ遊戯のオモチャになったYの破廉恥を私は憤らずにはいられなかった。Yは私の門生でも何でもなかった。が、日夕親しく出入して・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・文学が閑余の遊戯として見られていたばかりでなく、倫理も哲学も学者という小団体の書斎に於ける遊戯であった。科学の如きは学校教育の一課目とのみ見られていた。真に少数なる読書階級の一角が政治論に触るゝ外は一般社会は総ての思想と全く没交渉であって、・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・と称したについてはその内容の意味は種々あろうが、要するに、「文学には常に必ず多少の遊戯分子を伴うゆえに文学ではドウシテも死身になれない」と或る席上で故人自ら明言したのがその有力なる理由の一つであろう。が、文学には果して常に必ず遊戯的分子を伴・・・ 内田魯庵 「二葉亭四迷」
・・・ 彼等にせめて、一日のうち、もしくは、一週間のうち幾何かの間を、全く、交通危険に晒らされることから解放して、自由に跳躍し遊戯せしむることを得せしめるのは、たゞそれだけで意義のあることではないか。また暑中休暇の期間だけ、閑静な処にて自然に・・・ 小川未明 「児童の解放擁護」
・・・私にはたんにそれが女学校などで遊戯として習得した以上に、何か特別に習練を積んだものではないかと思われたほどに、それほどみごとなものであった。Tもさすがに呆気に取られたさまで、ぼんやり見やっていたが、敗けん気を出して浪子夫人のあとから鎖につか・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・午後四時の間食には果物、時には駿河屋の夜の梅だとか、風月堂の栗饅頭だとかの注文をします。夕食は朝が遅いから自然とおくれて午後十一時頃になる。此時はオートミルやうどんのスープ煮に黄卵を混ぜたりします。うどんは一寸位に切って居りました。 食・・・ 梶井久 「臨終まで」
母親がランプを消して出て来るのを、子供達は父親や祖母と共に、戸外で待っていた。 誰一人の見送りとてない出発であった。最後の夕餉をしたためた食器。最後の時間まで照していたランプ。それらは、それらをもらった八百屋が取りに来・・・ 梶井基次郎 「過古」
出典:青空文庫