・・・立派なる洋館も散見す。大船にて横須賀行の軍人下りたるが乗客はやはり増すばかりなり。隣りに坐りし静岡の商人二人しきりに関西の暴風を語り米相場を説けば向うに腰かけし文身の老人御殿場の料理屋の亭主と云えるが富士登山の景況を語る。近頃は西洋人も婦人・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・草色の羊羹が好きであり、レストーランへいっしょに行くと、青豆のスープはあるかと聞くのが常であった。「吾輩は猫である」で先生は一足飛びに有名になってしまった。ホトトギス関係の人々の文章会が時々先生の宅で開かれるようになった。先生の「猫」の・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・そうすると、きっと蝉時雨の降る植物園の森の裏手の古びたペンキ塗りの洋館がほんとうに夢のように記憶に浮かんで来る。 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・ 下へおりると、おひろが知らしたとみえて、森さんももうやってきて、別製の蓮羊羹なぞをおびただしく届けさせてきた。「先生、これはちょいといいもんです。おひろ一本切ってきてごらん」 道太は二三日前に、芝居のお礼か何か知らんが、辰之助・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・いくら藤村の羊羹でもおまるの中に入れてあると、少し答えます。そのおまるたると否とを問わず、むしゃむしゃ食うものに至っては非常稀有の羊羹好きでなければなりません。あれも学才があって教師には至極だが、どうも放蕩をしてと云う事になるととうてい及第・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・一方であの荒鷲のやうなニイチェは、もつと勇敢に正面から突撃して行き、彼の師匠が憎悪して居たところの、すべての Homo と現象に対して復讐した。言はばニイチェは、師匠の仇敵を討つた勇士のやうなものである。文部省の教科書でも、ニイチェは大に賞・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・だが日本の兵士たちは、もっと勇敢で規律正しく、現実的な戦意に燃えていた。彼らは銃剣で敵を突き刺し、その辮髪をつかんで樹に巻きつけ、高粱畠の薄暮の空に、捕虜になった支那人の幻想を野曝しにした。殺される支那人たちは、笛のような悲声をあげて、いつ・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・そして、その唯一つの道を勇敢に突進した彼であった。 その戦術は、彼のに帰れば、どの仲間もその方法に拠った、唯一の道であった。 が、乳色の、磨硝子の靄を通して灯を見るように、監獄の厚い壁を通して、雑音から街の地理を感得するように、彼の・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・終に臨んで勇敢なるマットン博士に深甚なる敬意を寄せます。」 拍手は天幕をひるがえしそうでありました。「大分露骨ですね、あんまり教育家らしくもないビジテリアンですね。」と陳さんが大笑いをしながら申しました。 ところがその拍手のまだ・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・嬉々とした人生の建設のために構図し、労作する、その高き旗じるしとして、婦人の大集団の上に、勇敢に、はためかなければならないのである。〔一九四六年四月〕 宮本百合子 「合図の旗」
出典:青空文庫