・・・今から考えると、ようこそ中途半端で柄にもない飛び上がり方をしないで済んだと思う。あのころには僕にはどこかに無理があった。あのころといわずつい昨今まで僕には自分で自分を鞭つような不自然さがあった。しかし今はもうそんなものだけはなくなった。僕の・・・ 有島武郎 「片信」
・・・ と突拍子な高調子で、譫言のように言ったが、「ようこそなあ――こんなものに……面も、からだも、山猿に火熨斗を掛けた女だと言われたが、髪の毛ばかり皆が賞めた。もう要らん。小春さん。あんた、油くさくて気の毒やが、これを切って、旦那さんに・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・中畑さんは、私の姿を見ても、一向におどろかない。ようこそ、などと言っている。濶達なものだった。「これは私の責任ですからね。」北さんは、むしろちょっと得意そうな口調で言った。「あとは万事、よろしく。」「承知、承知。」和服姿の中畑さんは・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・あがりたまえ、ようこそ、と言う。私は、ちっとも偉くないのだから、客を玄関で追いかえすなどは、とてもできない。私は、そんなに多忙な男でもないのである。忙中謝客などという、あざやかなことは永遠に私には、できないと思う。 僕よりもっと偉い作家・・・ 太宰治 「困惑の弁」
・・・いつも、もう細田がお世話になりまして、いちどわたくしもご挨拶に伺いたいと存じながら、しつれいしておりまして、本当にまあ、きょうは、ようこそ、……」 云々と、普通の女の挨拶を述べるばかりで、すこしも狂信者らしい影が無い。「うむ、これで・・・ 太宰治 「女神」
・・・「ようこそ! 子供たちはさっきから待っていましたよ。どうしておそかったんです?」「モスクワは大きい市ですから、三年いたってまだ迷子になったんです」 ドッと子供たちは笑う。お祖母さん先生も笑いながら、「おや、これから私どものと・・・ 宮本百合子 「従妹への手紙」
・・・ ――ようこそ! どこからです? ――日本から。 囁きかえした。 ――代表ですか? ――いいえ。 ――舞台の上へいらっしゃいな。もし演説して下さると非常にいいんだが―― 六七百人入っているのだ。 日本女は辞退・・・ 宮本百合子 「三月八日は女の日だ」
・・・「おあけなさい!」「今日は! 日本から来た作家に、われわれの生活ぶりを見せてあげようと思ってね」「ようこそ!……どうです? なかなかいいでしょう?」 ひろい一室に二つキチンと片づいた寝台がある。本棚がある。小ぢんまりした化粧・・・ 宮本百合子 「砂遊場からの同志」
・・・と声をかけると声のやさしい女は細目にあけて黛を一寸のぞかせて、「ようこそ、どうぞ御入りあそばして」と云ってすぐ几帳を引いてしまった。「よく来て下さったこと、今に兄君も常盤の君も紫の君も見えるでしょうからね」とうれしそうに・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・瞬間、とまどったひろ子は、目を据えてみて、「まあ、ようこそ!」 覚えず片手をさし出した。太平洋戦争がはじまる前まで、新交響楽団の定期演奏会は前売切符を会員に送った。その時分にひろ子もよくききにゆき、山沼というその青年も、大抵ききに来・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫