・・・そとに出て見る、表山、山、杉木立、明るい錆金色の枯草山、そこに小さい紅い葉をつけたはじの木、裏山でいつも日の当らないところは、杉木立の下に一杯苔がついて居、蘭科植物や羊歯が青々といつも少しぬれて繁茂して居る。 山が多く、日光が当るあたら・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
美とか、醜とかいうことは一様には云われません。美しいと思うのは容姿美ということより、その人から受ける感じに依って云われるものだと思います。 私は何よりも凡ての感じから観て「その人らしい」という人がいいと思います。たいし・・・ 宮本百合子 「その人らしい人が好き」
・・・その赭土の崖はいつもぬれている、羊歯、苔、りんどうの花などが咲いた。笹もあった。冬は、その赭土のところに霜柱が立ち、その辺の道は、いてついたままのところやどろんこのところや、ひどい難儀をした。汽車を見に、弁当もちで出かける八つばかりの私と六・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・外債募集のためアメリカへやって来た何とかいう世界地図にものっていないような弱小国の麗わしい姫が、ニューヨークへついて間もなくオタフク風にとりつかれてしまったので、その身代りを瓜二つな容姿をもった一人の貧乏で悧※な失業女優がつとめて、終りには・・・ 宮本百合子 「花のたより」
・・・これに関連し『東京朝日新聞』誌上に『我等の主張の根本要旨』を執筆す。我々の意見殆ど全部容認され、右議案二月末貴族院を通過す。衆議院を通過することも亦決定的なり。四六書院より戯曲集『女人哀詞』を出版。『風』なお継続。三月末完結の予定。」その後・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・四男勝千代は家臣南条大膳の養子になっている。女子は二人ある。長女藤姫は松平周防守忠弘の奥方になっている。二女竹姫はのちに有吉頼母英長の妻になる人である。弟には忠利が三斎の三男に生まれたので、四男中務大輔立孝、五男刑部興孝、六男長岡式部寄之の・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・順次の養子熊喜は実は山野勘左衛門の三男で、合力米二十石を給わり、中小姓を勤め、天保八年に病死した。熊喜の嫡子衛一郎は後四郎右衛門と改名し、玉名郡代を勤め、物頭列にせられた。明治三年に鞠獄大属になって、名を登と改めた。景一の五男八助は三歳の時・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・わたくしは白山の通りで、この車が洋紙をきんさいして王子から来るのにあうことがある。しかしそういうときにはこの車はわたくしの目にとまらない。 わたくしはこの車が空車として行くにあうごとに、目迎えてこれを送ることを禁じ得ない。車はすでに大き・・・ 森鴎外 「空車」
・・・祖父の死んだこの家は、私の母や伯母の生れた家で、母の妹が養子をとっていたものであった。 伯母の家に半年もいてから、私と母と姉とは汽車に乗り琵琶湖の見える街へ着いた。そこに父は新しく私たちの棲む家を作って待っていてくれた。そこが大津であっ・・・ 横光利一 「洋灯」
・・・さすがの美人が憂に沈でる有様、白そうびが露に悩むとでもいいそうな風情を殿がフト御覧になってからは、優に妙なお容姿に深く思いを寄られて、子爵の御名望にも代られぬ御執心と見えて、行つ戻りつして躊躇っていらっしゃるうちに遂々奥方にと御所望なさった・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫