・・・ すでに幼時より、このロマンチシズムは、芽生えていたのである。私の故郷は、奥州の山の中である。家に何か祝いごとがあると、父は、十里はなれたAという小都会から、四、五人の芸者を呼ぶ。芸者たちは、それぞれ馬の背に乗ってやって来る。他に、交通・・・ 太宰治 「デカダン抗議」
・・・自分の幼時からの悪を、飾らずに書いて置きたいと思ったのである。二十四歳の秋の事である。草蓬々の広い廃園を眺めながら、私は離れの一室に坐って、めっきり笑を失っていた。私は、再び死ぬつもりでいた。きざと言えば、きざである。いい気なものであった。・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・無報酬の行為です。幼児の危い木登りには、まだ柿の実を取って食おうという慾がありましたが、このいのちがけのマラソンには、それさえありません。ほとんど虚無の情熱だと思いました。それが、その時の私の空虚な気分にぴったり合ってしまったのです。 ・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・れはきたならしいやつですから、相手になさらぬように、それなのに、その嫌らしい、その四十歳の作家が、誇張でなしに、血を吐きながらでも、本流の小説を書こうと努め、その努力が却ってみなに嫌われ、三人の虚弱の幼児をかかえ、夫婦は心から笑い合ったこと・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・しかし、二度も罹災して二人の幼児をかかえ、もうどこにも行くところが無くなったので、まあ、当ってくだけろという気持で、ヨロシクタノムという電報を発し、七月の末に甲府を立った。そうして途中かなりの難儀をして、たっぷり四昼夜かかって、やっと津軽の・・・ 太宰治 「庭」
・・・ 私の幼時に愛した木版の東海道五十三次道中双六では、ここが振りだしになっていて、幾人ものやっこのそれぞれ長い槍を持ってこの橋のうえを歩いている画が、のどかにかかれてあった。もとはこんなぐあいに繁華であったのであろうが、いまは、たいへんさ・・・ 太宰治 「葉」
・・・王子には、この育ちの違った野性の薔薇が、ただもう珍らしく、ひとつき、ふたつき暮してみると、いよいよラプンツェルの突飛な思考や、残忍なほどの活溌な動作、何ものをも恐れぬ勇気、幼児のような無智な質問などに、たまらない魅力を感じ、溺れるほどに愛し・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ この二人は大抵極まった隅の卓に据わる。そしてコニャックを飲む。往来を眺める。格別物を考えはしない。 用事があってこの店へ来ることはない。金貸しには交際があるが、それはこの店を禁物にしていて近寄らない。さて文士連と何の触接点があるか・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ すなわちかれの快楽というのは電車の中の美しい姿と、美文新体詩を作ることで、社にいる間は、用事さえないと、原稿紙を延べて、一生懸命に美しい文を書いている。少女に関する感想の多いのはむろんのことだ。 その日は校正が多いので、先生一人そ・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ 夏目先生から自分はかつて一度もその幼時におけるS先生との交渉について聞いた覚えがなかったので、この手紙の内容が全く天から落ちたものででもあるように意外に思われた。そうして何となくこれは本当かしらという気がするのであった。しかしS先生が・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
出典:青空文庫