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・・・ この法難から文永五年蒙古来寇のころまで、三、四年間は日蓮の身辺は比較的静安であった。この間に彼の法化が関東の所々にのびたのであった。 七 蒙古来寇の予言 日蓮はさきに立正安国論において、他国侵逼難を予言して幕府・・・
倉田百三
「学生と先哲」
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・・・浅草橋も後になし須田町に来掛る程に雷光凄じく街上に閃きて雷鳴止まず雨には風も加りて乾坤いよいよ暗澹たりしが九段を上り半蔵門に至るに及んで空初めて晴る。虹中天に懸り宮溝の垂楊油よりも碧し。住み憂き土地にはあれどわれ時折東京をよしと思うは偶然か・・・
永井荷風
「夕立」