・・・明治八、九年頃の画家番附に淡島椿岳の上に和洋画とあるのを以て推すと、洋画家としてもまた相応に認められていたものと見える。今、残ってる椿岳の水彩や油画はいずれも極めて幼稚な作であるが、番附面における如く洋画家としてもまた多少認められていたとす・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・年月のたった今あの写真の印象を思いおこして見るとあの一葉の少女の像には当時の日本の知識階級人の一般の趣向を遙にぬいた御両親の和洋趣味の優雅な花が咲いていたのだと思われる。 森さんの旧邸は今元の裏が表口になっていて、古めかしい四角なランプ・・・ 宮本百合子 「歴史の落穂」
・・・茶代の多少などは第二段の論にて、最大大切なるは、服の和洋なり。旅せんものは心得置くべきことなり。されど奢るは益なし、洋服にてだにあらば、帆木綿にてもよからん。白き上衣の、腋の下早や黄ばみたるを着たる人も、新しき浴衣着たる人よりは崇ばるるを見・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫