・・・蚊の群がわんわんうなって二人に襲いかかった。 仁右衛門は死体を背負ったまま、小さな墓標や石塔の立列った間の空地に穴を掘りだした。鍬の土に喰い込む音だけが景色に少しも調和しない鈍い音を立てた。妻はしゃがんだままで時々頬に来る蚊をたたき殺し・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・「とっと、とっと。」といって、ぼんやりとながめていました。 また小犬が遊んでいると、子供は立ち止まって、じっとそれをば見守りました。「わんわんや、わんわんや。」と、かわいらしい、ほんとうに心からやさしい声を出して、小さな手を出し・・・ 小川未明 「幾年もたった後」
・・・水は湾わんわんと曲り込んで、そして転折して流れ去る、あたかも開いた扇の左右の親骨を川の流れと見るならばその蟹目のところが即ち西袋である。そこで其処は釣綸を垂れ難い地ではあるが、魚は立廻ることの多い自然に岡釣りの好適地である。またその堤防の草・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・あたりの犬たちが出て来て、店の中へもぐりこもうとでもしますと、やせ犬はうゝうときばをむいておいまくり、うろんくさい乞食が店先に立つと、わんわんほえておいのけてしまいます。それはなかなか気がきいたものです。とおりに何かへんな物音がすると、すぐ・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・また、うっかり注射でも怠ろうものなら、恐水病といって、発熱悩乱の苦しみあって、果ては貌が犬に似てきて、四つ這いになり、ただわんわんと吠ゆるばかりだという、そんな凄惨な病気になるかもしれないということなのである。注射を受けながらの、友人の憂慮・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・いちど先生に連れられて、クラス全部で、上野の科学博物館へ行ったことがございますけれど、たしか三階の標本室で、私は、きゃっと悲鳴を挙げ、くやしく、わんわん泣いてしまいました。皮膚に寄生する虫の標本が、蟹くらいの大きさに模型されて、ずらりと棚に・・・ 太宰治 「皮膚と心」
出典:青空文庫