・・・その人は、あわてたのをごまかすように、わざとゆっくり、川をわたって、それから、アルプスの探険みたいな姿勢をとりながら、青い粘土と赤砂利の崖をななめにのぼって、せなかにしょった長いものをぴかぴかさせながら、上の豆畠へはいってしまった。ぼくらも・・・ 宮沢賢治 「さいかち淵」
・・・山、氷河、および地殻の歴史を語られるにつれて、私たちの心によみがえるのはチンダルの「アルプスの旅より」「アルプスの氷河」などである。どちらも岩波文庫に訳されているのは知られるとおりである。アイルランド生れの物理学者であったジョン・チンダルは・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・それから今にアルプスの雪景のドイツ版の写真帳を送ります。チンダルの『アルプス紀行』はもうおよみになりましたか。お気に入りましたか? 私は写真で涼ましてあげたいと思うのです。この花の匂いは庭の白いくちなし。匂います? 今晩封じこめておいてあし・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・けれども、人間性を自分の枠のなかからたたき出して、辛い旅をさせ、客観的に追いつめられるだけ追いつめて見て到達した地点へ、自分の生きかたの足場を刻みつけて進んでゆくという、アルプス登攀のような文学と生活との方法は、ざらにあるだろうか。 経・・・ 宮本百合子 「作品と生活のこと」
・・・ チンダルのアルプス紀行は、科学と文学との関係で、寺田氏とは異った典型であると思う。チンダルは科学者の心持で終始一貫して、その科学精神の勁くリアリスティックであることから独特の美を読者に感じさせる。所謂文学的な辞句の努力や文学的感情と云・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
・・・ * 面白い本と云えば、羽仁五郎『ミケルアンジェロ』小倉金之助さんの、『家計の数学』山の好きな方に、チンダル『アルプスの旅より』又は『アルプスの氷河』など興味あるでしょうし、女の活動面が新しく展かれてゆく一つ・・・ 宮本百合子 「女性の生活態度」
・・・ 前進するためには、一歩一歩がしっかりとした自覚をもって踏みしめられなければならない。アルプス登攀列車は、一刻み、一刻み毎に、しっかり噛み合って巨大な重量を海抜数千メートルの高み迄ひき上げてゆく堅牢な歯車をもっている。わたし達が近代的外・・・ 宮本百合子 「「どう考えるか」に就て」
・・・東京暮しの作家は同様の場合、とかく軽井沢だとかアルプスだとかを思い浮べるらしい。そして、多くの場合そのいずれもが、作家としての降服の旗じるしであることが自覚されている。「若い人」の終りにしろ、その本質は同じであるが、ずっと終りまで読み、・・・ 宮本百合子 「文学と地方性」
・・・余は、余は、何物をも恐れはせぬぞ。余はアルプスを征服した。余はプロシャを撃ち破った。余はオーストリアを蹂躙した」だが、云いも終らぬ中に、ナポレオンの爪はまた練磨された機械のように腹の頑癬を掻き始めた。彼は寝台から飛び降りると、床の上へべたり・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・旅は人を自然に近づかしめて、峨々たる日本アルプスの連峰が蜿々として横たわるを見れば胸には宇宙の荘厳が湧然として現われる。この美この壮はもっとも強烈に霊を震※してそぞろに人生の真面目に想いを駛す。ただ惜しむらくは西行と同じ誤りに陥っている。隠・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫