・・・僕は頭を垂れたまま、階段を上ったり下りたりしているうちにいつかコック部屋へはいっていた。コック部屋は存外明るかった。が、片側に並んだ竈は幾つも炎を動かしていた。僕はそこを通りぬけながら、白い帽をかぶったコックたちの冷やかに僕を見ているのを感・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ 明いていた入口から、コックや女中たちの顔が、かわるがわる覗きこんだ。若い法学士はというと、彼はこの思いがけない最後の――作家なぞという異った社会の悲喜劇? に対してひどく興味を感じたらしく、入口の柱にもたれて皆なの後ろから、金縁の近眼・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・ お昼すぎ、飯盒で炊いた飯を食い、コック上りの吉田が豚肉でこしらえてよこしたハムを罐切りナイフで切って食った。浜田は、そのあまりを、新しい手拭いに包んで、××兵にむかって投げてやった。「そら、うめえものをやるぞ!」と、彼は支那語で叫・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・その時、多分いま前を横切ってゆく子供に、奥の方でコックがものを云っているのが聞えた。「オヤ、この子供は今ンちから豆ッて云うと、夢中になるぜ。いやだなア!」 そんなことを云った。 すると、一緒にめしを食っていた女の人が、プッと笑い・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・一つコックの工合の悪いのがあって、それから湯が不断に流出している。もったいない、と知らぬおばさんが云う。暖かい湯気が立上がる。しおれた白百合やカーネーションが流しの隅に捨ててある。百合の匂。カーネーションの匂。洗濯する人。お化粧する人。・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・ 舞台の上の二人は、手を握ったまま、ふいっとおじぎをして、それから、「バラコック、バララゲ、ボラン、ボラン、ボラン」と変な歌を高く歌いながら、幕の中に引っ込んで行きました。 ボロン、ボロン、ボロロンと、どらが又鳴りました。 ・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・海面に張り出して、からりとした人民保養委員会のレストランなども見えているが、どういう訳か遊歩道には前にも後にも人が疎で、海から吹いて来る強い風に、コックの白上衣が繩につられてはためいている。 海沿いの公園では夾竹桃が真盛りであった。わき・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・白い上っぱりにコック帽の料理人、元気な婦人労働者たち、食事をしに来る勤労者のために玄関わきにひろい洗面所がある。料理場で働いている連中には、専用の浴室があった。 モスクワ市内にだけでもこういう理想的な厨房工場を、五つも六つも増設し、五ヵ・・・ 宮本百合子 「ソヴェト労働者の解放された生活」
・・・ 室内の温度の余り高いのを喜ばない秀麿は、煖炉のコックを三分一程閉じて、葉巻を銜えて、運動椅子に身を投げ掛けた。 秀麿の心理状態を簡単に説明すれば、無聊に苦んでいると云うより外はない。それも何事もすることの出来ない、低い刺戟に饑えて・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫