・・・これのみならず玄関より外科室、外科室より二階なる病室に通うあいだの長き廊下には、フロックコート着たる紳士、制服着けたる武官、あるいは羽織袴の扮装の人物、その他、貴婦人令嬢等いずれもただならず気高きが、あなたに行き違い、こなたに落ち合い、ある・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・うを見て、次第に疑惑を増し、手を挙ぐれば、烏等も同じく挙げ、袖を振動かせば、斉しく振動かし、足を爪立つれば爪立ち、踞めば踞むを透し視めて、今はしも激しく恐怖し、慌しく駈出帽子を目深に、オーバーコートの鼠色なるを被、太き洋杖を持てる老・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・そして、博奕打ちに特有の商人コートに草履ばきという服装の男を見ると、いきなりドンと突き当り、相手が彼の痩せた体をなめて掛ってくると、鼻血が出るまで撲り合った。 ある日、そんな喧嘩のとき胸を突かれて、げッと血を吐いた。新聞社にいたころから・・・ 織田作之助 「雨」
・・・彼女たち――すなわち、此の界隈で働く女たち、丸髷の仲居、パアマネント・ウエーヴをした職業婦人、もっさりした洋髪の娼妓、こっぽりをはいた半玉、そして銀杏返しや島田の芸者たち……高下駄をはいてコートを着て、何ごとかぶつぶつ願を掛けている――雨の・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・釦の多いフロックコートを着たようである。しかし、少し動いてもすぐ脱れそうで不安であった。―― 何よりも母に、自分の方のことは包み隠して、気強く突きかかって行った。そのことが、夢のなかのことながら、彼には応えた。 女を買うということが・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・それが済むと怪しげな名前の印度人が不作法なフロックコートを着て出て来た。何かわからない言葉で喋った。唾液をとばしている様子で、褪めた唇の両端に白く唾がたまっていた。「なんて言ったの」姉がこんなに訊いた。すると隣のよその人も彼の顔を見た。・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・先ほどの処の地続きは平にならされてテニスコートになっている。軟球を打ち合っている人があった。――路らしい路ではなかったがやはり近道だった。「遠そうだね」「あそこに木がこんもり茂っているだろう。あの裏に隠れているんだ」 停留所はほ・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・思いがけない宗太の娘のお玉がそこへ来てコートの紐を解いた。「伯母さんはまだお夕飯前ですか」とお玉が訊いた。「これからお膳が出るところよのい」とおげんは姪に言って見せた。「それなら、わたしも伯母さんと御一緒に頂くことにしましょう。・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ 「テニスコートがあって、看護婦さんとあそんで、ゆっくり御静養できますわよ。」と悪婆の囁き。われは、君のそのいたわりの胸を、ありがたく思っていました。見よ、あくる日、運動場に出ずれば、蒼き鬼、黒い熊、さながら地獄、ここは、かの、どんぞこの、・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・ かつてロンドン滞在中、某氏とハンプトンコートの離宮を拝観に行った事がある。某氏はベデカの案内記と首引で一々引き合わして説明してくれたので大いに面白かった。そのうちにある室で何番目の窓からどの方向を見ると景色がいいという事を教えたのがあ・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
出典:青空文庫