・・・が、殆丸太のような桜のステッキをついていた所を見ると、いくら神経衰弱でも、犬位は撲殺する余勇があったのに違いない。が、最近君に会った時、君は神経衰弱も癒ったとか云って、甚元気らしい顔をしていた。健康も恢復したのには違いないが、その間に君の名・・・ 芥川竜之介 「近藤浩一路氏」
・・・僕の前では君の弟が、ステッキの先へハンケチを結びつけて、それを勢いよくふりながら「兄さん万歳」をくり返している。…… 後甲板には、ロシアの役者が大ぜい乗っていた。それが男は、たいてい、うすぎたない日本の浴衣をひっかけている。いつか本郷座・・・ 芥川竜之介 「出帆」
・・・僕は秦皮樹のステッキを挙げ、O君にちょっと合図をした。「そっちから上って下さい。――やあ、君も来ていたのか?」 O君は僕がK君と一しょに遊びに来たものと思ったらしかった。「僕等は蜃気楼を見に出て来たんだよ。君も一しょに行かないか・・・ 芥川竜之介 「蜃気楼」
・・・旅館の貸下駄にて、雨に懸念せず、ステッキを静人形使 (この時また土間の卓子画家 ははあ、操りですな。夫人 先生――ですか、あの、これは私のじゃあございませんの。画家 (はじめて心付きたる状どうも、これは失礼しました。いや、端・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・が脱ぐと、ステッキの片手の荷になる。つれの家内が持って遣ろうというのだけれど、二十か、三十そこそこで双方容子が好いのだと野山の景色にもなろうもの……紫末濃でも小桜縅でも何でもない。茶縞の布子と来て、菫、げんげにも恥かしい。……第一そこらにひ・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・彼は玄関へ入るなり、まず敷台の隅の洋傘やステッキの沢山差してある瀬戸物の筒に眼をつける――Kの握り太の籐のステッキが見える――と彼は案内を乞うのも気が引けるので、こそ/\と二階のKの室へあがって行く。……「……K君――」「どうぞ……・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・暗い敷台の上には老師の帰りを待っているかのように革のスリッパが内へ向けて揃えられてあり、下駄箱の上には下駄が載って、白い籐のステッキなども見えたが、私の二度三度の強い咳払いにも、さらに内からは反響がなかった。お留守なのかしら?……そうも思っ・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ 間もなく冬期休課になり、僕は帰省の途について故郷近く車で来ると、小さな坂がある、その麓で車を下り手荷物を車夫に托し、自分はステッキ一本で坂を登りかけると、僕の五六間さきを歩く少年がある、身に古ぼけたトンビを着て、手に古ぼけた手提カバン・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・むろん、この堤の上を麦藁帽子とステッキ一本で散歩する自分たちをも。 七 自分といっしょに小金井の堤を散歩した朋友は、今は判官になって地方に行っているが、自分の前号の文を読んで次のごとくに書いて送ってきた。自分は便利の・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ 一カ月の後、彼女は、別の、色の生白い、ステッキを振り振り歩く手薄な男につれられて、優しく低く、何事かを囁きながら、S町への大通りを通っていた。 虹吉も家を捨てた。六 そして、僕が、兄に代って、親を助けて家の心配をし・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
出典:青空文庫