・・・暗い幌のなかの乗客の眼がみな一様に前方を見詰めている事や、泥除け、それからステップの上へまで溢れた荷物を麻繩が車体へ縛りつけている恰好や――そんな一種の物ものしい特徴で、彼らが今から上り三里下り三里の峠を踰えて半島の南端の港へ十一里の道をゆ・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・ホップ、ステップ、エンド、ジャンプなんて飛び方でなくて、ほんのワンステップで、からりと春になってしまうのねえ。あんなに深く積っていた雪も、あっと思うまもなく消えてしまって、ほんとうに不思議で、おそろしいくらいだったわ。あたしは、もう十年も津・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・舞踊のステップの週期も同様であって、これはまた音楽の律動週期と密接な関係をもっている。 現在の「秒」はメートル制の採用と振り子の使用との結合から生まれた偶然の産物であるが、このだいたいの大いさの次序を制定したものはやはり人体の週期である・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・これがアメリカあたりの観測隊であったら、おそらく電池ぐらいかなり豊富に運び上げて、その日その日のラジオで時を殺し、そうしてまたおそらくポータブルのジャズでステップを踏み、その上にうまいコーヒーで午後の一時間を陽気に朗らかに楽しむではないかと・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・になるという、そういう本質的内在的な理由もあったであろうが、また一方では、はじめはただ各個人の主観的詠嘆の表現であったものが、後に宮廷人らの社交の道具になり、感興や天分の有無に関せずだれも彼もダンスのステップを習うように歌をよむことになって・・・ 寺田寅彦 「俳句の型式とその進化」
・・・ 会社はどうしても一人に一度のありがとうございますを与えたいというのならば、ステップを降りるときバネで「ありがとうございます」と叫ぶ仕掛けを発明したら、思わず苦笑する丈でもましであると思います。〔一九三九年八月〕・・・ 宮本百合子 「ありがとうございます」
・・・とハンドルを握ったまま力をいれて早口に注意したが、俄車掌がやっとステップに出た時、とうにバスはその危険なところを横切ってしまっている。―― 神田に向う電車通りに出ると、空円タクがふだんの倍ほど通っているきり、平穏である。むこうから一・・・ 宮本百合子 「電車の見えない電車通り」
・・・ところへ、カッスルが入って来て、ああ、と両方からよりそって手をとりあったその感情から、静かな、劬りのあるステップが流れ出す。次第次第にそのステップは熱し、高まって、優しく激しい幾旋回かののち、曲は再び沈静して夫妻は互に互の体を支えあいながら・・・ 宮本百合子 「表現」
・・・闇にまぎれて便乗するにしろ、ステップをてらすライトといった感じである。 闇のくらさは何にたとえよう。ふつう人の生活からひきあげられた便乗は、底の見とおせない独占資本とそれにつながる閣僚・官僚生活の黒雲のなかに巻きあげられて、魔もののよう・・・ 宮本百合子 「便乗の図絵」
林米子さんへ。 お手紙ありがとう。十二月二十五日の晩は、かえりにおつれがあったから助かりましたが、本郷の通りで、走っていたバスが急停車したとき、ステップのわきの金棒につかまって立っていたわたしのからだが、ブーンとひとま・・・ 宮本百合子 「ファシズムは生きている」
出典:青空文庫