・・・あって、委員には上級生がなっていたが、しかしこの委員は寮生間の互選ではなく、学校当局から指命されており、噂によれば寮生の思想傾向や行動を監視して、いかがわしい寮生を見つけると、学校当局へ報告するいわばスパイの役をしているということであった。・・・ 織田作之助 「髪」
・・・ ちょっと、郷里の家へ帰っているともう、スパイが、嗅ぎつけて、家のそばに張りこんでいる。出て歩けば尾行がついて来る。それが結婚のことで帰っていてもそうなのである。親爺の還暦の「お祝い」のことで帰っていてもそうなのである。嚊を貰って、嚊の・・・ 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
・・・ スパイが時々訪ねてくると、私は一々家の中に上げて、お茶をすゝめながら、それとなしに娘のことをきくのですが、少しも分りません。――すると、八ヵ月目かにです、娘がひょっこり戻ってきました。何んだか、もとよりきつい顔になっていたように思・・・ 小林多喜二 「疵」
・・・戸が開くと、一番先きに顔を出したスパイが、妹の名を云って、いるかときいた。そのスパイは前から顔なじみだった。母は「いるよ。」と、当り前で云ってから、「あれがどうしたのかね?」と問うた。スパイはそれには何も云わずに、「いるんだね」と念を押して・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・注意申しあげて置いたら、こんなことにはならなかったのでございますが、雑誌は、どこでもそうらしいですが、ひとりの作家を特に引きたててやることは、固く禁じられて居りますし、そのうえ、この社には、重役附きのスパイが多く、これからもあることゆえ、も・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・この不安。スパイが無言で自分の背後に立っているような不安。ひたひたと眼に見えぬ洪水が闇の底を這って押し寄せて来ているような不安。いまに、ドカンと致命的な爆発が起りそうな不安。 鶴は洗面所で嗽いして、顔も洗わず部屋へ帰って押入れをあけ、自・・・ 太宰治 「犯人」
・・・しかしどういうものかそれ以来その某国のスパイらしいものがB教授の身辺に付きまつわるようになった、少なくもB教授にはそういうふうに感ぜられたそうである。その後教授が半ばはその研究の資料を得るために半ばはこの自分を追跡する暗影を振り落とすために・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・「お前はスパイかい?」「え?」「分らねえか、警察の旦那かって聞いてるんだよ」 彼は喫驚すると同時に安心した。「俺は商人だよ」「そうかい? 何しろ、此車にゃスパイが二十人も乗ってるんだからな。俺はまたお前もそうかと・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・私にとっては、スパイを蹴飛ばしたのは悪くはないんだが、監獄にまたぞろ一月を経たぬ中、放り込まれることが善くないんだ。 いいと思うことでも、余り生一本にやるのは考えものだ。損得を考えられなくなるまで追いつめられた奴の中で、性分を持った奴が・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・共産党員をスパイにつかって、共産党を非合法に追いこむためにさまざまな挑発をおこなってきたことが判明しました。 こんにちの商業新聞は、スクープさえ自由にできない状態におかれています。千葉のファシスト組織のことが一行でもかかれた新聞があった・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
出典:青空文庫