・・・なんだいこんな家と、翌る日、安子は令嬢の真珠の指輪に羽二重の帯や御召のセルを持ち出して、浅草の折井をたずね、女中部屋の夢にまで見た折井の腕に抱かれた。その翌朝、警察の手が廻って錦町署に留置された。検事局へ廻されたが、未成年者だというので釈放・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・きょうは、曇天、日曜である。セルの季節で、この陰鬱の梅雨が過ぎると、夏がやって来るのである。みんな客間に集って、母は、林檎の果汁をこしらえて、五人の子供に飲ませている。末弟ひとり、特別に大きいコップで飲んでいる。 退屈したときには、皆で・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・東京では、もうセル着て歩いているひとだってあるのよ。」運転手にまで、身なりの申しわけを言っていた。「あ、そこを右。」 宿が近づいて、かず枝は活気を呈して来た。「きっと、まだ寝ていることよ。」こんどは運転手に、「ええ、もすこしさき。」・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・一枚のマントは、海軍紺のセル地で、吊鐘マントでありました。引きずるほど、長く造らせました。少年もそのころは、背丈もひょろひょろ伸びて五尺七寸ちかくになっていましたので、そのマントは、悪魔の翼のようで、頗る効果がありました。このマントを着ると・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・久留米絣にセルの袴が、私の理想である。かたぎの書生の服装が、私の家の人たちを、最も安心させるだろう。そうでなければ、ごくじみな背広姿がよい。色つきのワイシャツや赤いネクタイなど、この場合、極力避けなければならぬ。私のいま持っている衣服は、あ・・・ 太宰治 「花燭」
・・・更衣の季節で、オサダは逃げながら袷をセルに着換えた。 × どうなるのだ。私はそれまで既に、四度も自殺未遂を行っていた。そうしてやはり、三日に一度は死ぬ事を考えた。 × 中国との戦争はいつまでも・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・四年も昔の事であるから、記憶は、はっきりしないのだが、晩秋の一夜、ふたり揃って三鷹の陋屋に訪ねて来て、戸石君は絣の着物にセルの袴、三田君は学生服で、そうして私たちは卓をかこんで、戸石君は床の間をうしろにして坐り、三田君は私の左側に坐ったよう・・・ 太宰治 「散華」
・・・「かまわない。はいて行きたいのだ。」「だめですよ。」家内は、頑固であった。その仙台平なるものの思い出を大事にして、無闇に外に出して粗末にされたくないエゴイズムも在るようだ。「セルのが、あります。」「あれは、いけない。あれをはいて歩く・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・夜の十時頃、私が母と二人でお部屋にいて、一緒に父のセルを縫って居りましたら、女中がそっと障子をあけ、私を手招ぎ致します。あたし? と眼で尋ねると、女中は真剣そうに小さく二三度うなずきます。なんだい? と母が眼鏡を額のほうへ押し上げて女中に訊・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
・・・ セルディス、トオキイと映画芸術(高原富士郎。佐々木能理男・飯島正、前衛映画芸術論。映画科学研究、第八輯。新撰映画脚本集、下巻。以上ただ手に触れるに任せて一読しただけのものを並べたに過ぎない。すべてが良書だというわけでは・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
出典:青空文庫