一 一九二八年九月二十八日、私ともう一人の連れとは、チフリスから夜行でバクーへやって来た。 有名な定期市が終った朝、ニージュニ・ノヴゴロドからイリイッチ号という小ざっぱりした周遊船にのって、秋・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・は実にこの放浪の旅の終りに彼が落付いたチフリスで書かれたものなのである。 チェホフが、彼の敏感と人間らしい良心によって、当時一部のロシア・インテリゲンツィアに対して抱いていた忌憚ない反撥と、ゴーリキイが勤労者としての本性によってインテリ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの発展の特質」
・・・ 日雇い仕事でパンを稼ぎながら秋までほとんどロシアの南半分を歩きまわり、最後にチフリススターリンの故郷に落着いて鉄道工場に入った。処女作「マカール・チュードラ」がチフリス新聞『カウカアズ』に掲載されたのはまさにこの時なのであった。 ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・最後に今日ではスターリンの故郷として名の高いチフリス市の鉄道工場に入った。処女作「マカール・チュードラ」がチフリス新聞『カウカアズ』に掲載されたのは、まさにこの時なのであった。 成心く真心から書かれたこの一篇の小説は一八九二年のロシアの・・・ 宮本百合子 「逝けるマクシム・ゴーリキイ」
・・・ウラジカフカアズから一日コーカサスの山越えをしてグルジアのチフリスという都会へ出ます。スターリンはここで生れました。この辺コーカサスを越えた南の地方の中心です。〔一九二八年十月〕 宮本百合子 「ロシアの旅より」
出典:青空文庫