・・・ 近ごろ、夕飯の食卓で子供らと昔話をしていたとき、かつて自分がN先生とI君と三人で大島三原山の調査のために火口原にテント生活をしたときの話が出たが、それが明治何年ごろの事だったかつい忘れてしまってちょっと思い出せなかった。ところが、その・・・ 寺田寅彦 「詩と官能」
・・・技師一人技手一人と測量人夫六名ないし十名ぐらいの一行でテント生活をする。場所によっては水くみだけでもなかなかの大仕事である。食料は米味噌、そのほかに若布切り干し塩ざかななどはぜいたくなほうで、罐詰などはほとんど持たない。野菜類は現場で得られ・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・もう少し文化が進んで小屋を作るようになっても、テントか掘っ立て小屋のようなものであって見れば、地震にはかえって絶対安全であり、またたとえ風に飛ばされてしまっても復旧ははなはだ容易である。とにかくこういう時代には、人間は極端に自然に従順であっ・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・これについて思い出すのは十余年前の夏大島三原火山を調べるために、あの火口原の一隅に数日間のテント生活をした事がある。風のない穏やかなある日あの火口丘の頂に立って大きな声を立てると前面の火口壁から非常に明瞭な反響が聞こえた。おもし・・・ 寺田寅彦 「化け物の進化」
・・・に杖を曳いた時、堤の下には枯蓮の残った水田や、葱を植えた畠や、草の生えた空地の間に釣舟屋が散在しているばかりであったが、その後散歩するごとに、貸家らしい人家が建てられ、風呂屋の烟突が立ち、橋だもとにはテント張りの休茶屋が出来、堤防の傾斜面に・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・だから一向反対宣伝も要らなければこの軽業テントの中に入って異教席というこの光栄ある場所に私が数時間窮屈をする必要もない。然しながら実は私は六月からこちらへ避暑に来て居りました。そしてこの大祭にぶっつかったのですから職業柄私の方ではほんの余興・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・海上にポツリと浮いたお台場、青草、太陽に照っている休息所の小さなテント。此方ではカフェー・パリスと赤旗がひらひらしている。市民の遊覧、ルウソーの絵の感じであった。陽気で愛らし。 溺死人の黒い頭、肩。人間の沢山いる棧橋の方へ、何か魂の引力・・・ 宮本百合子 「狐の姐さん」
・・・固いタコができてラジウムの火傷の痕のある手を持った小柄な五十がらみの一人の婦人が、着のみ着のままで野天のテントの中に眠っている。その蒼白い疲れた顔を見た人は、それが世界のキュリー夫人であり、ノーベル賞の外に六つの世界的な賞を持ち、七つの賞牌・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・ 彼等は、赤軍兵が張ってくれた後方のテントの中で、手帳をひねくりまわしてはいなかった。突撃に加わり、一緒に泥をほじり、夜の歩哨にも伴れ立った。司令部とともに、視察した。前線での文学の夕べを組織し、即興芝居への台本を提供した。壁新聞を手伝・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・しかも、喧嘩も、恐慌もない時には、低いテントの下に坐り、或は寝そべりながら飲んだり食ったりし、親しげに真面目に語り合いながら河の面を見たりしている彼等。 ゴーリキイにはこれらの人々が「善人なのか、悪人なのか、平和好きなのか、悪戯好きなの・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫