・・・そのころの映画はまだ幼稚だったし、トーキーもなかった。 トーキーでやれば、『出家とその弟子』は、きっと成功すると私は思っている。それはこの作が芝居で困難なのは動きの少ない対話のシーンが多いからだが、映画なら大うつしがきくし、トーキーなら・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・ 録音と発音の機械的改良が進展して来る一方でまたトーキーファンの聴覚が訓練されて来れば、発声映画の可能性はさらに拡張されるであろう。点滴の音によってその室の広さを感じ、雷鳴の響きによって山の近さを感じることも可能になるであろう。 と・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・これが、大概のアメリカトーキーだと、おそらく、このアルベール君は三町四方に響くような大声で「ささやく」ことであろう。また掏摸にすられた中ばあさんが髪をくくりながら鼻歌を歌っているうちに手さげの中の財布の紛失を発見してけたたましい叫び声を立て・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ただし、このトーキー器械の科学的機構は未完成である。言語が聞き取れないために簡潔な筋のはこびが不明瞭になる場所のあるのは惜しい。 九 カルネラ対ベーア 拳闘というものはまだ一度も実見したことがない。ただ、時々映画・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ 三 誤解されたトーキー トーキーは物を言う映画だからと言っても、何もむやみに物を言わせる必要はない。このことはトーキーが発明されてから後にまもなく発見された平凡な真理である。しかし、このことがまだ今日でも発声映画製・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・こんな幼稚なものでも当時の子供に与えた驚異の感じは、おそらくはラジオやトーキーが現代の少年に与えるものよりもあるいはむしろ数等大きかったであろう。一から見た十は十倍であるが、百から見た同じ十はわずかに十分の一だからである。今の子供はあまりに・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ 近ごろのトーキー録音方法の中でも濃淡式でない曲線式のを使えばこれはきわめて容易である。まず試みに各社名宝のスターの「横顔の音」でも聞かせたらどうであろう。 七 においの追憶 鼻は口の上に建てられた門衛小屋のよう・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・もしも安直なトーキーの器械やフィルムが書店に出るようになれば教育器械としてのプロフェッサーなどはだいぶ暇になることであろう。 今からでも大書店で十六ミリフィルムを売り出してもよくはないか。そうして小さな試写室を設けて客足をひくのも一案で・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・ この事は、トーキーの場合にはそれほど問題にならないようにも思われる。観客はかなりな距離にあって、視角の限定されたスクリーンに対しているから、空間の深さの判断の正確さは始めから断念してかかっている。従って音の出る場所がその音に相当する視・・・ 寺田寅彦 「耳と目」
・・・こういうトピックスで逆毛立った高速度ジャズトーキーの世の中に、彼は一八五〇年代の学者の行なった古色蒼然たる実験を、あらゆる新しきものより新しいつもりで繰り返しているのであろう。そうして過去のベースを逆回りして未来のホームベースに到着する夢を・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
出典:青空文庫