・・・――ポーランド人の密偵の報告によるとそうだった。 密偵は、日本軍にこびるために、故意に事実を曲げて仰山に報告したことがあった。が、パルチザンの正体と居所を突きとめることに苦しんでいる司令部員は、密偵の予想通り、この針小棒大な報告を喜んだ・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・農婦の派手な色の頬冠りをした恰好がポーランドあたりで見かけたスラヴ女の更紗の頬冠りを想い出させる。それからまた、どこの国でも婆さんは同じような婆さんである。婆さんはユニヴァーサルに国境を超越した存在だと思う。婆さんに人種はないのである。・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・またポーランドのピスチャルカと称するものは六孔の縦吹きのした笛であるが、この品物自身もその名前とともにヒチリキに類するのが不思議である。 南洋のソロモン群島中のある島に存する竹製の縦笛にププホルと称するのがある。長さ五五・四デシメートル・・・ 寺田寅彦 「日本楽器の名称」
・・・イグナトフスキーとかいうポーランド人らしい黒髪黒髯の若い学者が、いつか何かのディスクシオンでひどく興奮して今にも相手につかみかかるかと思われてはらはらしたことがあった。ワールブルヒは腎臓でもわるいかと思われるように顔色が悪く肥大していて一向・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・「ポーランドに生れ、フランスに眠るわが母マリー・スマロドオスカ・キュリー」という献辞のついたこの旅行記は、日本語に翻訳されている部分だけでも、ふかい感興をうごかされ、エヴの公平な理解力と人間としての善意にうたれる。 エリカ・マンの各国巡・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・彼女を生んだポーランドの生活、彼女を活動させたフランスの社会の習俗、それらのことは彼女の卓抜な性格、資質と切るに切れない関係をもって、偉大な仕事を成就させている。彼女が女であって或る人類的な努力を貫徹したことは、今日の現実の中で何と云っても・・・ 宮本百合子 「寒の梅」
・・・女は落着いた文章のうちに情熱をこめて、小国ながら勇敢なベルギーは容易にドイツ軍の通過を許さないだろうとフランス人はみな希望を持ち、苦戦は覚悟の上だけれどきっとうまくゆくだろうと信じていること、そして「ポーランドはドイツ軍に占領されました。彼・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・ 伝記を読んだ方々には御承知の通りに、マリヤは、ポーランドの首府ワルソーで中学校の物理の先生をする傍副視学官をつとめていたスクロドフスキーの四人娘の末っ子として生れました。西暦一八六七年十一月に生れたから、日本が明治元年を迎えた時です。・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人の命の焔」
・・・特に日本ではそれが一つの謙譲なたしなみのようにさえ見られて来た習慣があるけれども、そういう慣習こそ、わるい意味で女の仕事を中途半端なものにしてしまっていると思います。ポーランドの代表的な婦人作家エリイザ・オルゼシュコの「寡婦マルタ」という小・・・ 宮本百合子 「現実の道」
・・・ この事実は文学にも生きていて、たとえばポーランドの婦人作家オルゼシュコの小説「寡婦マルタ」の悲劇のテーマが、もしきょうの日本でもう社会的に解決されてしまった問題ならば、日本の数十万の未亡人の境遇は、すべての面でこんにちそれがあるように・・・ 宮本百合子 「権力の悲劇」
出典:青空文庫