・・・絣の単物に、メリンスの赤縞の西洋前掛けである。自分はこれを見て、また強く亡き人の俤を思い出さずにいられなかった。 くりくりとしたつむり、赤い縞の西洋前掛けを掛け、仰向いて池に浮いていたか。それを見つけた彼の母の、その驚き、そのうろたえ、・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・窓の高い天井の低い割には、かなりに明るい六畳の一間で、申しわけのような床の間もあって、申しわけのような掛け物もかかって、お誂えの蝋石の玉がメリンスの蓐に飾られてある。更紗の掻巻を撥ねて、毛布をかけた敷布団の上に胡座を掻いたのは主の新造で、年・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・暑い日であった。メリンスの風呂敷包みの骨壺入りの箱を膝に載せて弟の俥は先きに立った。留守は弟の細君と、私の十四の倅と、知合いから来てもらった婆さんと、昨年の十一月父が出てきて二三日して産れた弟の男の赤んぼとの四人であった。出て行く私たちより・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・ そして、村で、メリンスの花模様が歩くのは「伊三郎」のトシエか、「徳右衛門」のいしえか、町へ出ずにすむ、田地持ちの娘に相場がきまってしまった。 村は、そういう状態になっていた。 メリヤス工場の職工募集員は、うるさく、若者や娘のあ・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・ それを聞いて、私は黒いメリンスを巻きつけた兵児帯の間から蝦蟇口を取り出した。その中にあった金を次郎に分け、ちょうどそこへ屋外からテニスの運動具をさげて帰って来た三郎にも分けた。「へえ、末ちゃんにも月給。」 と、私は言って、茶の・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・見ると八百屋のまえに、緑いろのメリンスの風呂敷が落ちている。私のと、ちがうようにも思ったが、あるいは、これだったかも知れぬ、いや、これだろう、と思い、そのおかみさんの親切を無にするのも苦しく、お礼を言ってその風呂敷を拾い、それから牛肉屋へ行・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・念を入れた化粧をし、メリンス友禅の羽織を着、物を云うとき心持頭を左に曲げながら、何故か苦しそうに匂やかな二つの眉をひそめて声を出すのであった。 少し荒れた赤い小さな唇を見「さようでございますの」と云う含声をきいた時、さほ子は此娘をお前と・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ 薄い毛を未練らしく小さい丸髷にして、鼠色のメリンスの衿を、町方の女房のする様に沢山出して、ぬいた、お金の、年にそぐわない厭味たっぷりの姿を見るとすぐお君は、無理な微笑をして、 お帰りやすと云った。 一通り部屋の中を・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ その時私は菊の大模様のついた渋い好いメリンスの袷を着て居たと覚えて居る。 そうして静かな中にじいっと一つ物を見つめて居る事は今になってさえ止まない私の気持の良い胸のときめく様な気のする事である。 私はややしばらくの間、そうやっ・・・ 宮本百合子 「M子」
・・・大人のような気になり、前後左右のものを観察し、その心持を感じ、悦びは感じながらも手持ち無沙汰な有様で歩いて行く。メリンスの、雲と菊の模様のある羽織を着、処々色の褪めた紫紺の袴を穿いた自分の様子は、どんな風にその場合見えただろう。鍵の手に曲っ・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
出典:青空文庫