「モップル」が、「班」組織によって、地域別に工場の中に直接に根を下し、大衆的基礎の上にその拡大強化をはかっている。 ××地区の第××班では、その班会を開くたびに、一人二人とメンバーが殖えて行った。新しいメンバーがはいって・・・ 小林多喜二 「疵」
・・・関タッチイはそのメンバーであり、彼の下宿はアジトでした。その頃、自殺を企て、実行もした元気のない塩田カジョーと知り合ったのです。タッチイがへまをしてつかまりました。タッチイは頑張ってくれたのでしたが、ぼくは、その前から家を飛びだしもぐってい・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・弘前の新聞記者たち、それから町の演劇研究会みたいなもののメンバー、それから高等学校の先生、生徒など、いろいろな人たちで、かなり多人数の宴会であった。高等学校の生徒でそこに出席していたのは、ほとんど上級生ばかりで、一年生は、私ひとりであったよ・・・ 太宰治 「チャンス」
・・・休憩室の土間の壁面にメンバーの名札がずらりと並んでいる。ハンディキャップの数で等級別に並べてあるそうだが、やはり上手な人の数が少なくて、上手でない人の数が多いから不思議である。黒板に競技の得点表のようなものが書いてある。一等から十等まで賞が・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・役所でも会社でも言わば一つのオーケストラのようなものであってみれば、そのメンバーが堅い手首でめいめい勝手にはげしい轢音を放散しては困るであろうと思われる。悪く言えば「要領よくごまかす」というはなはだ不祥なことが、よく言えば一つの交響楽の演奏・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・には単なる似顔の集成でなく、各メンバーの排置のみならずそのポーズや服装によって各自の個性を表現しようという苦心の痕が覗われる。とにかく、このような同人群像を試みるとしてはおそらく最も適任な石井氏が更に研究を重ねてこの絵の完成に勉められること・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・s's Gold Medal by the Royal Meteorological Society of London and in 1925 he was elected an Honorary Member of the same S・・・ 寺田寅彦 「PROFESSOR TAKEMATU OKADA」
・・・こういうわけであるから、連句のメンバーは個性の差違を有すると同時に互いに充分なる理解と同情とをもっていなければ一つの歌仙をまとめる事も不可能である。トリオやカルテットの仲間がよくできては解散し、解散してはまた別の組ができるのであるが、事情を・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・、窪川鶴次郎氏「一メンバー」、橋本英吉氏「炭坑」、中條百合子「乳房」、立野信之氏の長篇「流れ」等が現れた。 当時の事情はこの一方諷刺文学、諷刺詩の欲求を生み、中野重治、壺井繁治、世田三郎、窪川鶴次郎その他諸氏によっていくつかの諷刺詩が発・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・初め各々が演劇好きで倶楽部の演劇研究部のメンバーとなり、勉強して祭の日に倶楽部の芝居へ出演したりしていた。ところが段々専門化して来て色んな工場から何人かそういう連中が集まり、コンムーナで話すようになった。MOSPS劇場の教育部に指導されてメ・・・ 宮本百合子 「ソヴェト「劇場労働青年」」
出典:青空文庫