・・・それさえ、娘の方では、気になるのに、その尼がまた、少し耳が遠いと来ているものでございますから、一つ話を何度となく、云い直したり聞き直したりするので、こっちはもう泣き出したいほど、気がじれます。――「そんな事が、かれこれ午までつづいたでご・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・ ある時ある高い階級の婦人が衆人環視の中で人力車を降りる一瞬時の観察から、その人の皮膚のある特徴を発見してそれを人に話したので、実に恐ろしい女だと言ってそれが一つ話になった。 彼女は日本の女には珍しい立派な体格の所有者であった。容貌・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・と、到々あきらめて仕舞ったと云って、子供の無邪気な一つ話になって居る。 事実は、単純な只それだけの事であるけれ共二人の子供の気持を考えると、話以上の面白さがある。 自分より小さい隣の児に対する弟の態度や何かがそろそろ男と云う・・・ 宮本百合子 「二十三番地」
・・・何か耳新しい一つ話か思い出話が出るかと思って、心臓に氷嚢をあてながらも寝ないで柱にもたれ、明け方までいろいろな人に混っていたのであったが、誰もそんな話を切り出すひとは誰もなかった。母が二十代の時分、生れたての私をつれて札幌へ父とともに行って・・・ 宮本百合子 「母」
・・・四・一六の時、×××老人は婆さまもろとも引っぱられたが、六十日ブタ箱にたたきこまれている間一言も物を云わなかったというんで、部落の一つ話になっている。「看守が来ると、おーい、年とって目が見えんからお前見とくろっちゃ、毎日虱とっとった」・・・ 宮本百合子 「飛行機の下の村」
・・・尤も、これには一つ話がある。 まだ春も夜寒な頃、十時過ぎて或る印刷所の使が玄関に来た。見ると、一匹の犬が、その使の若者と共に、三和土のところに坐っている。「まあ犬をつれて来たの?」「いいえ。どっかの犬がついて来て離れないんです」・・・ 宮本百合子 「蓮花図」
・・・と言ったという一つ話が伝わっているドイツの大恐慌の七、八ヵ月以前の状態とほぼひとしい形を示している。最低二十五倍の物価の昂騰があるわけである。凡そ昨年の十二月までにたいていの家庭では、今までの貯金を使い尽し、復員手当、解職手当をも食込んでし・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・ 私はちょうどそのとき、何か一つ話を書いてもらいたいと頼まれていたので、子供にした話を、ほとんどそのまま書いた。いつもと違って、一冊の参考書をも見ずに書いたのである。 この「寒山拾得」という話は、まだ書肆の手にわたしはせぬが、多分新・・・ 森鴎外 「寒山拾得縁起」
出典:青空文庫