・・・と言い返すと、いやそれもあるがと、注がれたビールを一息に飲んで、「――それよりもそんな話ばかし書いているから、いつまでたっても若さがないと言われるんだね」そう言い乍ら突き上げたパナマ帽子のように、簡単に私の痛い所を突いて来た。「いや・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 酔った方の男はひどく相手の言ったことに感心したような語調で残っていたビールを一息に飲んでしまった。「そうだ。それであなたもなかなか窓の大家だ。いや、僕はね、実際窓というものが好きで堪らないんですよ。自分のいるところからいつも人の窓・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ 四 あくまで無礼な、人を人とも思わぬかの東条という奴、と酔醒めの水を一息に仰飲って、辰弥は独りわが部屋に、眼を光らして一方を睨みつつ、全体おれを何と思っているのだ。口でこそそれとは言わんが、明らかにおれを凌辱した。・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ 徳二郎はふだんにないむずかしい顔をしていたが、女のさす杯を受けて一息にのみ干し、「いよいよ何日と決まった?」と女の顔をじっと見ながらたずねた。女は十九か二十の年ごろ、色青ざめてさも力なげなるさまは病人ではないかと僕の疑ったくらい。・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・また普通にいって品行正しい、慈愛深いというだけでもやはりいま一息である。その正しいとか、いつくしみとかいうものが信仰の火で練られて、柔くなり、角がとれ、貧しくならねばならない。 信仰というものがなくては女性として仕上げができていないとい・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・が、酒呑根性で、今一盃と云わぬばかりに、猪口の底に少しばかり残っていた酒を一息に吸い乾してすぐとその猪口を細君の前に突き出した。その手はなんとなく危げであった。 細君が静かに酌をしようとしたとき、主人の手はやや顫えて徳利の口へカチンと当・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・――私はこれを読んで、もう一息だと思った。然しこの級長はこれから打ち当って行く生活からその本当のことを知るだろうと考えた。――一九三一・一二・一○―― 小林多喜二 「級長の願い」
・・・ 私たちを載せた車は、震災の当時に焼け残った岡の地勢を降りて、まだバラック建ての家屋の多い、ごちゃごちゃとした広い町のほうへ、一息に走って行った。町の曲がり角で、急に車が停まるとか、また動き出すとか、何か私たちの乗り心地を刺激するものが・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・黒ずんでいる唇をおどけものらしくちょっと尖らせて、コップのビイルをほとんど一息に呑んでしまった。「ずっとこっちにいたのですか。」僕は唇にあてたビイルのコップを下へ置いた。コップの中には蚋に似た小さい虫が一匹浮いて、泡のうえでしきりにもが・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・ その日は校正が多いので、先生一人それに忙殺されたが、午後二時ころ、少し片づいたので一息吐いていると、 「杉田君」 と編集長が呼んだ。 「え?」 とそっちを向くと、 「君の近作を読みましたよ」と言って、笑っている。・・・ 田山花袋 「少女病」
出典:青空文庫