・・・どうか後生一生のお願いですから、人間の脚をつけて下さい。ヘンリイ何とかの脚でもかまいません。少々くらい毛脛でも人間の脚ならば我慢しますから。」 年とった支那人は気の毒そうに半三郎を見下しながら、何度も点頭を繰り返した。「それはあるな・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・そのむずかしい役目を勤めてくれた医師が帰って後の、お前たちの母上の顔を見た私の記憶は一生涯私を駆り立てるだろう。真蒼な清々しい顔をして枕についたまま母上には冷たい覚悟を微笑に云わして静かに私を見た。そこには死に対する Resignation・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・やっぱり君は一生歌を作るだろうな。A どうだか。B 歌も可いね。こないだ友人とこへ行ったら、やっぱり歌を作るとか読むとかいう姉さんがいてね。君の事を話してやったら、「あの歌人はあなたのお友達なんですか」って喫驚していたよ。おれはそん・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・「だって、謹さん、私がこうして居いいために、一生貴方、奥さんを持たないでいられますか。それも、五年と十年と、このままで居たいたって、こちらに居られます身体じゃなし、もう二週間の上になったって、五日目ぐらいから、やいやい帰れって、言って来・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・一体女と云うものは一生たよるべき男は一人ほかないはずだのに其の自分の身持がわるいので出されて又、後夫を求める様になっては女も終である。人と云う人の娘は第一考えなければならない事である。一度縁を結んで再び里にかえるのは女の不幸としてこの上ない・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・主人夫婦はごくお人よしで家業大事とばかり、家の掃除と料理とのために、朝から晩まで一生懸命に働いていた。主人の姉――名はお貞――というのが、昔からのえら物で、そこの女将たる実権を握っていて、地方有志の宴会にでも出ると、井筒屋の女将お貞婆さんと・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・言換えれば椿岳は実にこの不思議な時代を象徴する不思議なハイブリッドの一人であって、その一生はあたかも江戸末李より明治の初めに到る文明急転の絵巻を展開する如き興味に充たされておる。椿岳小伝はまた明治の文化史の最も興味の深い一断片である。・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・私は、あなたが、私のために乱暴者からなぐられて、血を流されたことを一生忘れません。」「いえ、いつかも、いいましたように、けっしてあなたのためではありません。たとえその人があなたでなくても、だれであっても、弱いものを、ああして乱暴者がいじ・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・お前にしてからが、俺のような一生世間師で果てようてえ者に緊ついてくより、元の亭主の――ああいう辛抱人へ還った方が末始終のためだぜ。お前さえ還る気になりゃ、あの人あいつ何時でもひき取ってくれらあ、それだけは俺が受合う。悪いことは言わねえから、・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ほんまにあんな女子にかかったら、一生の損でっせ。そない思いはれしまへんか」 じっと眼を細めて、私の顔を見つめていたが、それはそうと、とまた言葉を続けて、「石油どないだ? まだ、飲みはれしまへんか。飲みなはれな。よう効くんでっけどな。・・・ 織田作之助 「秋深き」
出典:青空文庫