・・・また、それがないにしても、その時にはもう私も、いつか子爵の懐古的な詠歎に釣りこまれて、出来るなら今にも子爵と二人で、過去の霧の中に隠れている「一等煉瓦」の繁華な市街へ、馬車を駆りたいとさえ思っていた。そこで私は頭を下げながら、喜んで「どうぞ・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ 旦那の牧野は三日にあげず、昼間でも役所の帰り途に、陸軍一等主計の軍服を着た、逞しい姿を運んで来た。勿論日が暮れてから、厩橋向うの本宅を抜けて来る事も稀ではなかった。牧野はもう女房ばかりか、男女二人の子持ちでもあった。 この頃丸髷に・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・何日だっけ北海道へ行く時青森から船に乗ったら、船の事務長が知ってる奴だったものだから、三等の切符を持ってるおれを無理矢理に一等室に入れたんだ。室だけならまだ可いが、食事の時間になったらボーイを寄こしてとうとう食堂まで引張り出された。あんなに・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ われら式、……いや、もうここで結構と、すぐその欄干に附着いた板敷へ席を取ると、更紗の座蒲団を、両人に当てがって、「涼い事はこの辺が一等でして。」 と世話方は階子を下りた。が、ひどく蒸暑い。「御免を被って。」「さあ、脱ぎ・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・岩淵から引返して停車場へ来ますと、やがて新宿行のを売出します、それからこの服装で気恥かしくもなく、切符を買ったのでございますが、一等二等は売出す口も違いますね、旦那様。 人ごみの処をおしもおされもせず、これも夫婦の深切と、嬉しいにつけて・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・心の実験を真面目に表わしたものが英国第一等の文学であります。それだによってわれわれのなかに文学者になりたいと思う観念を持つ人がありまするならば、バンヤンのような心を持たなくてはなりません。彼のような心を持ったならば実に文学者になれぬ人はない・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・それも蓼食う虫が好いて、ひょんなまちがいからお前に惚れたとか言うのなら、まだしも、れいの美人投票で、あんたを一等にしてやるからというお前の甘言に、うかうか乗ってしまったのだ……と、判った時は、おれは随分口惜しかった。情けなかった。 あと・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 隊で逆立ちの一番下手なのは、大学出の白崎恭助一等兵だったから、白崎は落語家出身で浪花節の巧い赤井新次一等兵と共に、常に隊長の酒の肴になっていた。 おかげで、白崎は大学で覚えたことをすっかり忘れてしまうくらい、毎日逆立ちをやらされ、・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。 ある朝――その頃私は甲の友達から・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・ あれから見ると同じ大学を出ても高山や長谷川は人間が一等上だのう、その中でも高山は余程見込がある男だぞ」 細川繁は黙って何にも言わなかった、ただ水面を凝視めている。富岡老人も黙って了った。 暫くすると川向の堤の上を二三人話しながら通・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
出典:青空文庫