・・・彼はただ、春風の底に一脈の氷冷の気を感じて、何となく不愉快になっただけである。 しかし、内蔵助の笑わなかったのは、格別二人の注意を惹かなかったらしい。いや、人の好い藤左衛門の如きは、彼自身にとってこの話が興味あるように、内蔵助にとっても・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ 三、佐藤の作品中、道徳を諷するものなきにあらず、哲学を寓するもの亦なきにあらざれど、その思想を彩るものは常に一脈の詩情なり。故に佐藤はその詩情を満足せしむる限り、乃木大将を崇拝する事を辞せざると同時に、大石内蔵助を撲殺するも顧る所にあ・・・ 芥川竜之介 「佐藤春夫氏の事」
・・・少し遠慮して、間をおいて、三人で斉しく振返ると、一脈の紅塵、軽く花片を乗せながら、うしろ姿を送って行く。……その娘も、町の三辻の処で見返った。春闌に、番町の桜は、静である。 家へ帰って、摩耶夫人の影像――これだと速に説教が出来る、先刻の・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・しかし、変らないというばかりでは、このことは説明されない。一脈故郷の空や、原野と、ながめの相通ずるものがあるがためである。 初期のロマンチストを目して、笑うことはできぬ。英国の山川詩人が、故郷の自然を愛したのは、清純な魂によってである。・・・ 小川未明 「彼等流浪す」
・・・児童の心理は一脈共通するところがあり、これによって反省し、自覚し、また批判をなすのであります。従って、これらの文学よりの教化は、概念的の指導でなく、また強圧的な教訓でもなく、全く、体験に訴え、自得し、自治せしむるところにあるのであります。・・・ 小川未明 「新童話論」
・・・ 編中に插入された水面の漣波、風にそよぐ蘆荻のモンタージュがあるが、この插入にも一脈の俳諧がある。この無意味なような插入が最後の「自由」のシーンと照応して生きてくるように思われる。それのみならず自分はこの映画いったいの仕組みの上からもい・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・すべてのエキゾティックなものに憧憬をもっていた子供心に、この南洋的西洋的な香気は未知の極楽郷から遠洋を渡って来た一脈の薫風のように感ぜられたもののようである。その後まもなく郷里の田舎へ移り住んでからも毎日一合の牛乳は欠かさず飲んでいたが、東・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・家で聞いたという琵琶の音や、ある特定の日に早朝の街道に聞こえた人通りの声などを手掛りとして、先ず作業仮説を立て、次にそのヴェリフィケーションを遂行して、結局真相をつき止めるという行き方は、科学の方法と一脈の相通ずる所があると云われる。また例・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・ュラーを発して、数々のかなり漠然たる研究題目とそれに対して支給すべき零細の金額とを列挙してそれらの問題の研究引受人を募ることがあるようであるが、あれなどもやはりこのイブラヒム老人の入れ歯の注文とどこか一脈相通ずるところがあるような気がするの・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・私はなんとなしにさびしい子供らの生活に一脈の新しい情味が通い始めたように思った。幼い二人の姉妹の間にはしばしば猫の争奪が起こった。「少しわたしに抱かせてもいいじゃないの」とか「ちっともわたしに抱かせないんだもの」とか言い争っているのが時々離・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
出典:青空文庫