・・・まさしくその人と思うのが、近々と顔を会わせながら、すっと外らして窓から雨の空を視た、取っても附けない、赤の他人らしい処置振に、一驚を吃したのである。 いや、全く他人に違いない。 けれども、脊恰好から、形容、生際の少し乱れた処、色白な・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・なかなかハイカラな構えの家だったので、男爵には、一驚だった。呼鈴を押す。女中が出て来る。ばかなやつだな、役者になったからって、なにも、こんなにもったいぶることはない、と男爵は、あさましく思った。「坂井ですが。」 けばけばしいなりをし・・・ 太宰治 「花燭」
・・・さて、お言いつけの原稿用紙、今月はじめ五百枚を、おとどけ申しましたばかりのところ、また、五百枚の御註文、一驚つかまつりました。千枚、昨夜お送り申しました。だまって御受納下さいまし。第一小説集、いまだ出版のはこびにいたりませぬか。出版記念会に・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・あっと一驚させずば止まぬ態の功名心に燃えて、四日目、朝からそわそわしていた。家族そろって朝ごはんの食卓についた時にも、自分だけは、特に、パンと牛乳だけで軽くすませた。家族のひとたちの様に味噌汁、お沢庵などの現実的なるものを摂取するならば胃腑・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ 全く不幸な災難としかいいようのないこの事件が、先ず法律的処罰の対象となり得るということに一驚したのは、私だけではなかったろう。検事という職務の官吏が、みんな自家用自動車で通勤してはいない。弁当の足りないことを心のうちに歎じつつ、彼等も・・・ 宮本百合子 「石を投ぐるもの」
・・・ 先ずその人は、大冊十六巻からなるその作品の量を見て、このバルザックという人はよくもこれだけ書けたものだと一驚しながら、手当り次第に、その一冊をとりあげ、疑いぶかそうな様子で、どこかの頁をあける。偶然こういう言葉に出くわす。「最も優雅な・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・ツワイクによってこういう風に主観化されうすめられたフーシェとバルザックが描いたフーシェとを見くらべると、一驚する。バルザックのは、陰謀を企む人々の背景に、あるときはその前景にチラリ、チラリとフーシェの剛慾さ、あくどさ、無良心。悪計。実に大革・・・ 宮本百合子 「バルザックについてのノート」
・・・予が久しく鴎外漁史という文字を署したことがなくて、福岡日日新聞社員にこれを拈出せられて一驚を喫したのもこれがためである。然るに昨年の暮におよんで、一社員はまた予をおとずれて、この新年の新刊のために何か書けと曰うた。その時の話に、敢て注文する・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
出典:青空文庫