・・・それが、どういうわけか、ことしは三鷹の町のところどころに立てられてある七夕の竹の飾りが、むしょうに眼にしみて仕方がなかった。それで、七夕とは一体、どういう意味のお祭りなのか更にくわしく知りたくさえなって来て、二つ三つの辞書をひいて調べてみた・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・夜、戸石君と二人で、三鷹の陋屋に訪ねて来たのが、最初であったような気がする。戸石君に聞き合せると更にはっきりするのであるが、戸石君も已に立派な兵隊さんになっていて、こないだも、「三田さんの事は野営地で知り、何とも言えない気持でした。桔梗・・・ 太宰治 「散華」
九月のはじめ、甲府からこの三鷹へ引越し、四日目の昼ごろ、百姓風俗の変な女が来て、この近所の百姓ですと嘘をついて、むりやり薔薇を七本、押売りして、私は、贋物だということは、わかっていたが、私自身の卑屈な弱さから、断り切れず四・・・ 太宰治 「市井喧争」
・・・東京都下三鷹町。甲府水門町。甲府新柳町。津軽。 忘れているところもあるかも知れないが、これだけでも既に二十五回の転居である。いや、二十五回の破産である。私は、一年に二回ずつ破産してはまた出発し直して生きて来ていたわけである。そうしてこれ・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・本当に、三鷹のこんな奥まで、わざわざおいで下さるのに、主人が不在なので、またそのままお帰りにならなければならないのだ。お帰りの途々、どんなに、いやなお気持だろう。それを思えば、私まで暗い気持になるのだ。 夕飯の仕度にとりかかっていたら、・・・ 太宰治 「十二月八日」
・・・ 家の者達に就いては、いまは少しも心配していないので、毎日、私は気軽である。青空を眺めて楽しみ、煙草を吸い、それから努めて世の中の人たちにも優しくしている。 三鷹の私の家には、大学生がたくさん遊びに来る。頭のいいのもあれば、頭のわる・・・ 太宰治 「新郎」
・・・私が九月のはじめ、甲府から此の三鷹の、畑の中の家に引越して来て、四日目の昼ごろ、ひとりの百姓女がひょっこり庭に現われ、ごめん下さいましい、と卑屈な猫撫声を発したのである。私はその時、部屋で手紙を書いていたのであるが、手を休めて、女のさまを、・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・言い忘れていたが、馬場の生家は東京市外の三鷹村下連雀にあり、彼はそこから市内へ毎日かかさず出て来て遊んでいるのであって、親爺は地主か何かでかなりの金持ちらしく、そんな金持ちであるからこそ様様に服装をかえたりなんかしてみることもできるわけで、・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・私には、家庭さえ無い。三鷹の此の小さい家は、私の仕事場である。ここに暫くとじこもって一つの仕事が出来あがると私は、そそくさと三鷹を引き上げる。逃げ出すのである。旅に出る。けれども、旅に出たって、私の家はどこにも無い。あちこちうろついて、そう・・・ 太宰治 「誰」
・・・二箇年ほど甲府にいて、甲府で結婚して、それからいまの此の三鷹に移って来たのです。この写真は、甲府の武田神社で家内の弟が写してくれたものですが、さすがにもう、老けた顔になっていますね。ちょうど三十歳だったと思います。けれども、この写真でみると・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
出典:青空文庫