・・・電気科学館の七階にある天文館のバネ仕掛けで後へ倚り掛れるようになった椅子に並んで掛けた時、私ははじめてほっとしてあたりに客の尠いのを喜びながら汗を拭いたが、やがて天井に映写された星のほかには彼女の少し上向きの低い鼻の頭も見えないくらい場内が・・・ 織田作之助 「世相」
・・・首だけまっ白に塗ってあごから上の顔面は黄色ないしは桃色にして、そうして両方のたぼを上向きにひっくらかえしているのが田舎少年の目には不思議に思われた。それから、五丁目あたりの東側の水菓子屋で食わせるアイスクリームが当時の自分には異常に珍しくま・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・山のどん底から山の下の平野の空へ向って鉄路が上向きに登っているから、恰度大砲の中から打出されたような心持がして面白い。打出されたところは昔呉竹の根岸の里今は煤だらけの東北本線の中空である。 高架線路から見おろした三河島は不思議な世界であ・・・ 寺田寅彦 「猫の穴掘り」
・・・この花の茎は始めにはまっすぐに上向きに延びる。そうしてつぼみの頭が水面まで達すると茎が傾いてつぼみは再び水中に没する。そうして充分延び切ってから再び頭をもたげて水面に現われ、そうして成熟し切った花冠を開くということである。つまり、最初にまず・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
・・・――男と女だって、生きてるときは男が陽で女が陰だが死ぬと変りますね、土左衛門ね、ほら、きっと男が下向きで女が上向きだろう。ありゃ何も男のキンタマが重くて下を向き、女のおしりが重くて上を向くんじゃあないさ、陽陰が代ってああなるんだとさ。 ・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・女は上向き男は下向、川水が血と膏で染って居、吾嬬橋を工兵がなおして居る。 ◎殆ど野原で上野の山の見当さえつけると迷わずにかえれる。 ○本所相生署は全滅。六日夜十一時頃、基ちゃんが門で張番をして居ると相生署の生きのこりの巡査が来、被服・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・何故なら景気がよい、就業率は上向きだと云っても、工場に働いている人々の賃銀の上昇には残業割増、歩増などの時間外労働強化がついているのであるし、小売物価の急激な騰貴は結局、いくらかましな工場労働者の賃金をも今日では凌いでしまっている。実質賃銀・・・ 宮本百合子 「「ラジオ黄金時代」の底潮」
・・・昭和十六年以来昂まって来ているインフレーションは、表面上の労働賃銀をぐんぐん上げて、その頃までは物価の昂騰と労働賃銀の増大とはほぼ釣り合いを保って上向きに来たのであった。けれども、この頃を境として生活費の膨脹は熱病患者の体温計のように止めよ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・松の枝は幹から横に出ていて、強い弾力をもって上下左右に揺れるのであるが、欅の枝は幹に添うて上向きに出ているので、梢の方へ行くと、どれが幹、どれが枝とは言えないようなふうに、つまり箒のような形に枝が分かれていることになる。欅であるから弾力はや・・・ 和辻哲郎 「松風の音」
出典:青空文庫