・・・「日本の神々様、どうか私が睡らないように、御守りなすって下さいまし。その代り私はもう一度、たとい一目でもお父さんの御顔を見ることが出来たなら、すぐに死んでもよろしゅうございます。日本の神々様、どうかお婆さんを欺せるように、御力を御貸し下・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・けれども私たちにどれほどの力があったかを考えて見て下さい。Mは十四でした。私は十三でした。妹は十一でした。Mは毎年学校の水泳部に行っていたので、とにかくあたり前に泳ぐことを知っていましたが、私は横のし泳ぎを少しと、水の上に仰向けに浮くことを・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・「いつまでも居て下さいよ。もう、私は、女房なんぞ持とうより、貴女に遊んでいてもらう方が、どんなに可いから知れやしない。」 と我儘らしく熱心に言った。 お民は言を途切らしつ、鉄瓶はやや音に出づる。「謹さん、」「ええ、」・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・まあどうしようか、すまないけど少し待って下さいよ。この桑をやってしまうから」「いや別にどこへ来たというのでもないです。お祖父さんの墓参をかねて、九十九里へいってみようと思って……」「ああそうかい、なるほどそういえばだれかからそんな噂・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・ 御免下さい」と、向うは笑いくずれたが、すぐ白いつばを吐いて、顔を洗い出した。飛んで来たのは僕のがま口だ。「これはわたしのだ。さッき井戸端へ水を飲みに行った時、落したんだろう」「あの狐に取られんで、まア、よかった」「可哀そうに、・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・「どうも私は障子を半分張りかけて置くのは嫌いだから、失礼ですが、張ってしまうまで話しながら待っていて下さい。」 そんな風で二人は全く打ち解けて話し込んだ。私は大変長座をした。夏目さんは人によってあるいは門前払いをしたり仏頂顔したりす・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・もしわれわれが事業を遺すことができなければ、われわれに神様が言葉というものを下さいましたからして、われわれ人間に文学というものを下さいましたから、われわれは文学をもってわれわれの考えを後世に遺して逝くことができます。 ソウ申しますとまた・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・「あの、どうぞわたくしを縛って下さいまし、わたくしは決闘を致しまして、人を一人殺しました。」 それを聞いた役場の書記二人はこれまで話に聞いた事もない出来事なので、女房の顔を見て微笑んだ。少し取り乱してはいるが、上流の奥さんらしく見える人・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・「妾は、どんなにも働きますから、どうぞ知らない南の国へ売られて行くことを許して下さいまし」と、言いました。 しかし、もはや、鬼のような心持になってしまった年より夫婦は何といっても娘の言うことを聞き入れませんでした。 娘は、室の裡・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
・・・私にはよく分りましたけど、全くそういうわけで御返事を上げなかったんですから……さあどうぞお敷き下さい」 お光は蓐火鉢と気を利かして、茶に菓子に愛相よくもてなしながら、こないだ上った時にはいろいろ御馳走になったお礼や、その後一度伺おう伺お・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫