・・・あれあれ雀が飛ぶように、おさえの端の石がころころと動くと、柔かい風に毛氈を捲いて、ひらひらと柳の下枝に搦む。 私は愕然として火を思った。 何処ともなしに、キリリキリリと、軋る轅の車の響。 鞠子は霞む長橋の阿部川の橋の板を、あっち・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・――堯が模ねをやめると、愛想もなく、下枝の間を渡りながら行ってしまった。 低地を距てて、谷に臨んだ日当りのいいある華族の庭が見えた。黄に枯れた朝鮮芝に赤い蒲団が干してある。――堯はいつになく早起きをした午前にうっとりとした。 しばら・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・ そして片っぱしからぱちぱち杉の下枝を払いはじめました。ところがただ九尺の杉ですから虔十は少しからだをまげて杉の木の下にくぐらなければなりませんでした。 夕方になったときはどの木も上の方の枝をただ三四本ぐらいずつ残してあとはすっかり・・・ 宮沢賢治 「虔十公園林」
・・・落葉松の下枝は、もう褐色に変っていたのです。 トルコ人たちは、みちに出ている岩にかなづちをあてたり、がやがや話し合ったりして行きました。私はそのあとからひとり空虚のトランクを持って歩きました。一時間半ばかり行ったとき、私たちは海に沿った・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・重く寒い暗藍色の東空に、低く紅の横雲の現れたのが、下枝だけ影絵のように細かく黒くちらつかせる檜葉の葉ごしに眺められた。閉め切った硝子戸の中はまだ夜だ。壮重な夜あけを凝っと見て居ると、何処かで一声高らかに鶯が囀った。ホーと朗らかに引っぱり、ホ・・・ 宮本百合子 「木蔭の椽」
・・・女中に訊いても樹の名を知らぬ或る朝、ところが、一番日当りよい下枝の蕾が開いた。その清らかに爽やかな初夏の贈物に向って心が傾きかかった。日ごとに白い花の数は増して、やがて恰好よい樹がすっかり白い単弁の花と覗き出した柔い若葉でつつまれた。幾日か・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
・・・沢山のうたはその出来の順に下枝から段々上枝へとさげられた、一番高い花の梢に若い男がその女君の色紙をそうともちながらほうばいに抱かれてつるすのをうらやましく、あの手の指に身をそえたいと光君は思った、今日の宴も終となった。 人達は舞の手ぶり・・・ 宮本百合子 「錦木」
出典:青空文庫