・・・それから芝居でも見に行くように、上着も下着もことごとく一番好い着物を着始めた。「おい、おい、何だってまたそんなにめかすんだい?」 その日は一日店へも行かず、妾宅にごろごろしていた牧野は、風俗画報を拡げながら、不審そうに彼女へ声をかけ・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ ……そのお千には、もう疾に、羽織もなく、下着もなく、膚ただ白く縞の小袖の萎えたるのみ。 宗吉は、跣足で、めそめそ泣きながら後を追った。 目も心も真暗で、町も処も覚えない。颯と一条の冷い風が、電燈の細い光に桜を誘った時である。・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ 長い間、雨の中を傘なしで歩いて来たので、下着を透して毛穴まで濡れていた。五月だが、寒く、冷たい。「しかし、この娘の方がもっと寒いだろう」 ガタガタ顫えている娘の身ぶるいを感ずると、少しでも早く雨をしのぐところを探してやりたかっ・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・照枝は東京の子供たちの歯切れの良い言葉がいかにも利溌な子供らしく聴えて以来、お腹の子供はぜひ東京育ちにするのだと夢をえがき、銭勘定も目立ってけちくさくなった。下着類も案外汚れたのを平気で着て、これはもともとの気性だったが、なにか坂田は安心し・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・丁度、国から持って来た着物の中には、胴だけ剥いで、別の切地をあてがった下着があった。丹精して造ったもので、縞柄もおとなしく気に入っていた。彼女はその下着をわざと風変りに着て、その上に帯を締めた。 直次の娘から羽織も掛けて貰って、ぶらりと・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・「相変らず、いい下着を着ているな。しかし君は、わざと下着の見えるような着附けをしているけれども、それは邪道だぜ。」 その下着は、故郷のお婆さんのおさがりだった。私は、いよいよ面白くない気持で、なおもがぶがぶ、生れてはじめてのひや酒を・・・ 太宰治 「酒の追憶」
イエスが十字架につけられて、そのとき脱ぎ捨て給いし真白な下着は、上から下まで縫い目なしの全部その形のままに織った実にめずらしい衣だったので、兵卒どもはその品の高尚典雅に嘆息をもらしたと聖書に録されてあったけれども、 妻・・・ 太宰治 「小志」
・・・ きのう縫い上げた新しい下着を着る。胸のところに、小さい白い薔薇の花を刺繍して置いた。上衣を着ちゃうと、この刺繍見えなくなる。誰にもわからない。得意である。 お母さん、誰かの縁談のために大童、朝早くからお出掛け。私の小さい時からお母・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・たとえばド・ヴァレーズ伯爵がけしからぬ犯行の現場から下着のままで街頭に飛び出し、おりから通りかかったマラソン競走の中に紛れ込み、店先の値段札を胸におっつけて選手の番号に擬するような、卑猥であくどい茶番はヤンキー王国の顧客にはぜひとも必要なも・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・綿ネルの下着が袖口から二寸もはみ出しているのが、いつも先生から笑われる種であった。それから、自分が生来のわがまま者でたとえば引っ越しの時などでもちっとも手伝わなかったりするので、この点でもすっかり罰点をつけられていた。それからTは国のみやげ・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
出典:青空文庫