・・・容易なだらけ切った気持ちで有るが儘の世相の外貌を描いただけで、尚お且つ現実に徹した積りでいるなど、真に飽きれ果てた話だ。こんなものが何んで現実主義といえよう。 前述の如く、純芸術的の作品が民衆に感動を与えるのは何の為めかというに、それは・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・「世相」という小説でその公判記録のことを書いたのを知っていたのであろう。私は「世相」という小説はありゃみな嘘の話だ、公判記録なんか読んだこともない、阿部定を妾にしていた天ぷら屋の主人も、「十銭芸者」の原稿も、復員軍人の話も、酒場のマダムも、・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・実は新吉の描こうとしているのは今日の世相であった。 世相は歪んだ表情を呈しているが、新吉にとっては、世相は三角でも四角でもなかった。やはり坂道を泥まみれになって転がって行く円い玉であった。この円い玉をどこまで追って行っても、世相を捉える・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・青白い浮腫がむくみ、黝い隈が周囲に目立つ充血した眼を不安そうにしょぼつかせて、「ちょっと現下の世相を……」語りに来たにしては、妙にソワソワと落ち着きがない。綿のはみ出た頭巾の端には「大阪府南河内郡林田村第十二組、楢橋廉吉A型、勤務先大阪府南・・・ 織田作之助 「世相」
・・・しかし、激しい世相の中に身を置いた武田さんの正直さがそのままにじみ出ているような作品であった。その正直さはふと律儀めいていた。一見武田さんに似合わぬ律儀さであった。が、これが今日の武田さんの姿としてそのまま受け取って、何の不思議もないと私は・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・「世相」という小説は九十何枚かで一応結んだが、あの小説はあれから何拾枚もかきつづけられる作品だった。ダイスのマダムの妹を書こうというところで終ったが、あれは「世相」の中でさまざまな人間のいやらしさを書いて来た作者が、あの妹を見てはじめて清純・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・ 四 社会運動と倫理学 青年層にはまた倫理学を迂遠でありとし、象牙の塔に閉じこもって、現実の世相を知らないものの机上の空論であるとしてかえり見ない向きもある。しかし街頭の実践運動家といえども倫理学的な指導原理を持ち、・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・日蓮は世相のただならぬことを感じた。また実際国外には支那を統一し、ヨーロッパを席捲した元が日本をうかがいつつあったのであった。 こうした時代相は年少の日蓮に痛切な疑いを起こさせずにおかなかった。彼は世界の災厄の原因と、国家の混乱と顛倒と・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 安い思いもなしに、移り行く世相をながめながら、ひとりでじっと子供を養って来た心地はなかった。しかし子供はそんな私に頓着していなかったように見える。 七年も見ているうちには、みんなの変わって行くにも驚く。震災の来る前の年あたりに・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・して、実に久しぶりで、小さい盃でちびちび一級酒なるものを飲み、その変転のはげしさを思い、呆然として、わが身の下落の取りかえしのつかぬところまで来ている事をいまさらの如く思い知らされ、また同時に、身辺の世相風習の見事なほどの変貌が、何やら恐ろ・・・ 太宰治 「酒の追憶」
出典:青空文庫