・・・足袋はだしの両脚とも凍りきって、しびれてしまったらしい。 途法にくれてあたりを見る時、吹雪の中にぼんやり蕎麦屋の灯が見えた嬉しさ。湯気の立つ饂飩の一杯に、娘は直様元気づき、再び雪の中を歩きつづけたが、わたくしはその時、ふだん飲まない燗酒・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・余は四、五日前より容態が急に変って、今までも殆ど動かす事の出来なかった両脚が俄に水を持ったように膨れ上って一分も五厘も動かす事が出来なくなったのである。そろりそろりと臑皿の下へ手をあてごうて動かして見ようとすると、大磐石の如く落着いた脚は非・・・ 正岡子規 「九月十四日の朝」
・・・そのとき、ポキッと脚を折ったのです。その両脚は今でもまだしんしんと痛みます。眼を開いてもあたりがみんなぐらぐらして空さえ高くなったり低くなったりわくわくゆれているよう、みんなの声も、ただぼんやりと水の中からでも聞くようです。ああ僕はきっとも・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・ひょいひょいと両脚をかわるがわるあげてとびあがり、ぽんぽんと手で足のうらをたたきました。その音はつづみのように、野原の遠くのほうまでひびきました。 それから支那人の大きな手が、いきなり山男の眼の前にでてきたとおもうと、山男はふらふらと高・・・ 宮沢賢治 「山男の四月」
・・・頭を母の方に向け、両脚を、竹格子の窓に突出した。屋根がトタンだから、風が吹いて雨が靡くとバラバラ、小豆を撒くような音がした。さもなければザッ、ザッ、気味悪くひどい雨音がする。一太は、小学校へ一年行ったぎりで仮名も碌に知らなかった。雑誌などな・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・程なく私は縁側に出、両脚をぶら下げて腰をかけた。膝には赤い木皿に丸い小さいビスケットが三十入っている。 柱に頭をもたせかけ、私はくたびれてうっとりとし、ぼんやり幸福で、そのビスケットを一つ一つ、前歯の間で丹念に二つにわって行った。〔・・・ 宮本百合子 「雲母片」
・・・美男の良人につかまって数番の初等トウダンスと両脚を床の上で一直線に展くことをおそわった時 ターニャ・イワノヴナは自分の姙娠したことを知った。踊りての良人は不機嫌に「僕あ赤坊なんぞいらないよ」と云った。ターニャ・イワノヴナは 人工流産・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・破れた軍服を着て、云いようない軍帽を斜にかぶって、両脚のない乞食こそは、李茂なのであった。 春桃は人力車をやとって、李茂と屑籠とをのせた。そして、廂房のわが家へ帰った。李茂は、小ざっぱりとした廂房の内部と、春桃の生活につよい好奇心がある・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・ 熟練し切った様子で荷でもくくるように詰襟の男が幸雄の踝の上から両脚をぎりぎり白木綿で巻きつけ始めた。足許が棒のようになったので足掻きがつかずもろに倒れそうになっては、立ちなおって荒れる。容赦なく腹を締めつけ、遂に両腕も緊く白木綿の下に・・・ 宮本百合子 「牡丹」
・・・家禽は両脚を縛られたまま、赤い鶏冠をかしげて目をぎョろぎョろさしている。 彼らは感じのなさそうな顔のぼんやりしたふうで、買い手の値ぶみを聞いて、売り価を維持している。あるいはまた急に踏まれた安価にまけて、買い手を呼び止める、買い手はそろ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
出典:青空文庫