・・・本の計画は中絶したまま省吾叔父は亡くなった。日本へかえって亡くなるまでどの位の月日があったのだろうか。ほんの僅であったように思う。私が小学一年の頃で、駒本小学という学校の門のところへこの叔父が迎えに来ていてくれたことがある。大きい大きい大人・・・ 宮本百合子 「本棚」
・・・者は、S女史という婦人作家の助手をやり、聾唖学校の教師になり、紡績工場の世話係、封筒かき、孤児院の保姆、小新聞の婦人記者と、変転する職業の一つ一つを、どれも本気に創作をするには適さない生活環境であると中絶して来て、今日では三ヵ月女中働きをし・・・ 宮本百合子 「見落されている急所」
・・・が、また、ほかの諸作品と同様に、中絶してしまっている。早く完全な訳が出てほしいと思う。そうして、世界の苦しみと歓喜とに触れ自身の苦痛と希望とを等しき人間の進みゆく足どりと眺めたく願うのは、決して私たちばかりではないだろうと思う。〔一九四六年・・・ 宮本百合子 「よもの眺め」
・・・大嘗会というのは、貞享四年に東山天皇の盛儀があってから、桂屋太郎兵衛の事を書いた高札の立った元文三年十一月二十三日の直前、同じ月の十九日に五十一年目に、桜町天皇が挙行したもうまで、中絶していたのである。・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・三年前の大患以後、病気つづきで、この年にも『行人』の執筆を一時中絶したほどであったが、一向病人らしくなく、むしろ精悍な体つきに見えた。どこにもすきのない感じであった。漱石の旧友が訪ねて行って、同じようにして迎えられたとき、「いやに威張ってい・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
・・・がこの初期のガンダーラの美術は、三世紀の中ごろクシャーナ王朝の滅亡とともにいったん中絶し、一世紀余を経て、四世紀の末葉にキダーラの率いるクシャーナ族がガンダーラ地方に勢力を得るに及んで、今度は塑像を主とする美術として再興し、初期よりずっと優・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫