・・・其辺は営業上の関係で、著作者たる余には何等の影響もない事だから、それも善かろうと同意して、先ず是丈を中篇として発行する事にした。 そこで序をかくときに不図思い出した事がある。余が倫敦に居るとき、忘友子規の病を慰める為め、当時彼地の模様を・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』中篇自序」
作品をよんだ上での感想として、ゴーリキイが中篇小説において長篇小説よりすぐれた技術、味いを示し得ていることを感じるのは恐らくすべての読者の感想ではないでしょうか。もしかすると、短篇が更にそこに横溢している生活感情や色彩熱量・・・ 宮本百合子 「長篇作家としてのマクシム・ゴーリキイ」
・・・千枚近い長篇を熱心に書き通したことは作家としての技術を習熟さすためには大変に役に立った、この作品が比較的好評であったこともあって、それから後いろいろな短篇中篇を書きましたが、どんな題材でも当時の私が書こうとした範囲のものでは一応小説として読・・・ 宮本百合子 「「伸子」について」
・・・それは『朱実作品集』の中にも、『牡丹のある家』にも、もしそれ等がまとまった一つの中篇或は長篇として扱われていたら、芸術品として更に強い効果を示したであろうと思われる連作的短篇があったことである。『朱実作品集』の十二の短篇は「久米子の一日・・・ 宮本百合子 「二つの場合」
・・・続いて中篇小説「四つの頭」が『シベリアの火』というシベリア地方の指導的な文学雑誌に現れた。写実的な手法でセイフリナは自分が活動の間に理解し、見聞を蓄積した地方ソヴェト農村の階級的闘争を書き出した。「十月」革命の当時はレーニングラード附近・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
出典:青空文庫