・・・先輩や長上や主君の知遇に合うことはこの人生行路におけるこの上ない感謝であって、世間にはこの感激に生きている人は少なくない。あの菅公の宇多上皇に対する恩顧の思い出はそれを示して余りあり、理想の愛人に合うことの悦びはいまさらいうまでもなく花は一・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・と此処まで云いて今更の感に大粒の涙ハラハラと、「雑兵共に踏入られては、御かばねの上の御恥も厭わしと、冠リ落しの信国が刀を抜いて、おのれが股を二度突通し試み、如何にも刃味宜しとて主君に奉る。今は斯様よとそれにて御自害あり、近臣一同も死・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・一 婦人は別に主君なし。夫を主人と思ひ敬ひ慎みて事べし。軽しめ侮べからず。総じて婦人の道は人に従ふに有り。夫に対するに顔色言葉遣ひ慇懃に謙り和順なるべし。不忍にして不順なるべからず。奢て無礼なるべからず。是れ女子第一の勤也。夫の・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・その策如何というに、朝夕主人の言行を厳重正格にして、家人を視ること他人の如くし、妻妾児孫をして己れに事うること奴隷の主君におけるが如くならしめ、あたかも一家の至尊には近づくべからず、その忌諱には触るべからず、俗にいえば殿様旦那様の御機嫌は損・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・で手負いの侍女が、死にかかりながら、主君の最期を告げに来るのに、傍にいる朋輩が、体を支えてやろうともしないで、行儀よく手を重ねて見ているのも気がついた。何も、わざとらしい動作をするには及ばない。只、そういう非常な場合、人間なら当然人間同士感・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・彌五右衛門は「某は只主命と申物が大切なるにて、主君あの城を落せと被仰候わば、鉄壁なりとも乗りとり可申、あの首とれと被仰候わば、鬼神なりとも討ち果し可申と同じく、珍らしき品を求めて参れと被仰候えば、此上なき名物を求めん所存なり」という封建武人・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・であるからと、その心得がさとされてあるのだが、「婦人は別に主君なし夫を主人と思い敬い慎みて事うべし。女は夫を以て天とす返々も夫に逆らいて天の罰を受べからず」、女にとって夫は天とひとしい絶対の関係におかれている。 女が一旦嫁した家を去るな・・・ 宮本百合子 「三つの「女大学」」
・・・いつも鷹狩の供をして野方で忠利の気に入っていた。主君にねだるようにして、殉死のお許しは受けたが、家老たちは皆言った。「ほかの方々は高禄を賜わって、栄耀をしたのに、そちは殿様のお犬牽きではないか。そちが志は殊勝で、殿様のお許しが出たのは、この・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・某申候は、某は左様には存じ申さず、主君の申つけられ候は、珍らしき品を買い求め参れとの事なるに、このたび渡来候品の中にて、第一の珍物はかの伽羅に有之、その木に本末あれば、本木の方が尤物中の尤物たること勿論なり、それを手に入れてこそ主命を果すに・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・某申候は、某は左様には存じ申さず、主君の申つけられ候は、珍らしき品を買求め参れとの事なるに、このたび渡来候品の中にて、第一の珍物はかの伽羅に有之、その木に本末あれば、本木の方が、尤物中の尤物たること勿論なり、それを手に入れてこそ主命を果すに・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
出典:青空文庫