・・・私が私の視覚の、同時にまた私の理性の主権を、ほとんど刹那に粉砕しようとする恐ろしい瞬間にぶつかったのは、私の視線が、偶然――と申すよりは、人間の知力を超越した、ある隠微な原因によって、その妻の傍に、こちらを後にして立っている、一人の男の姿に・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・華美を極めた晴着の上に定紋をうった蝦茶のマントを着て、飲み仲間の主権者たる事を現わす笏を右手に握った様子は、ほかの青年たちにまさった無頼の風俗だったが、その顔は痩せ衰えて物凄いほど青く、眼は足もとから二、三間さきの石畳を孔のあくほど見入った・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・その埋め合わせというわけでもないかもしれないが、昔から相当に戦乱が頻繁で主権の興亡盛衰のテンポがあわただしくその上にあくどい暴政の跳梁のために、庶民の安堵する暇が少ないように見える。 災難にかけては誠に万里同風である。浜の真砂が磨滅して・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・祭祀その他宗教的儀式と連関していろいろの巫術魔術といったようなものも民族の統治者の主権のもとに行なわれてそれが政治の重要な項目の一つになっていたように思われる。 そうした祭祀や魔術の目的はいろいろであったろうが、その一つの目的はわれわれ・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・そのほか経済上、政治上において天皇という身分上の特権は十分に保たれている。主権在民という憲法にこういう矛盾が含まれていることは日本の歴史の特殊性である。ちょうど人間が胎児であったとき、その成長の過程で、ごく初期の胎生細胞はだんだん消滅して、・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・云々と、民族自立の問題・主権在民の問題も――即ちポツダム宣言と新憲法の実質を左からぐるりと右へひとまわりさせたものにしようとしている。『テラス』や『ロマンス』などのような雑誌が、この頃ルポルタージュと称して戦記ものを記載しているのは、偶・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・偽りない主権在民を、実現したいと思うのである。その現実の力のつよさで、戦争というものの根絶された日本の民主生活の完成を見たいと思うのである。 すべての人民が、今や自分の分別によって「人」たらんとしているのであるけれども、特に、青少年、婦・・・ 宮本百合子 「現実の必要」
・・・ 本当に、日本が民主の国柄となり、男も女も、笑って働いて、生きて行ける国になるために、今日共産党が、真の民主主義を求めて、主権が君主にある制度に反対していることは近い将来において、必ずや正当であったことを、歴史の事実によって証明されるで・・・ 宮本百合子 「幸福のために」
・・・そして、近代芸術において「行為的主権を証左したもの」として、「セクジュアリテの胸に自らを委ねた」イギリスのD・H・ローレンスの諸作、「権力への意志に自己を燃焼した」作家としてマルロオの諸作品。「人性の創造的行動のうちに深く滲潤することによっ・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・人格者として保有すべき権能に対して尊敬すべき其の主権者となり得ますでしょう。私は米国の女性が人類の一員として享有する権能の論理的価値を認め、将来によき魂に偉大な光彩を与え得る可能のより多くより確実である事を認めずには居られません。然し、現今・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
出典:青空文庫