京橋区三十間堀に大来館という宿屋がある、まず上等の部類で客はみな紳士紳商、電話は客用と店用と二種かけているくらいで、年じゅう十二三人から三十人までの客があるとの事。 ある年の五月半ばごろである。帳場にすわっておる番頭の・・・ 国木田独歩 「疲労」
・・・去んぬる十三日、相携へて京橋なる新聞社に出勤せり。弟余を顧みて曰く、秀吉の時代、義経の時代、或は又た明治の初年に逢遇せざりしを恨みしは、一、二年前のことなりしも、今にしては実に当代現今に生れたりしを喜ぶ。後世少年吾等を羨むこと幾許ぞと。余、・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・ところが、それから道の程を経て、京橋辺の道具屋に行くと、偶然といおうか天の引合せといおうか、たしかに前の鐙と同じ鐙が片方あった。ン、これが別れ別れて両方後家になっていたのだナ、しめた、これを買って、深草のを買って、両方合わせれば三十両、と早・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・ 北村君が亡くなった後で、京橋鎗屋町の煙草屋の二階(北村君の阿母へ上って、残して置いて行ったものを調べた事があった。その時細君が取り出して来たいくつかの葛籠を開けたら、種々反古やら、書き掛けたものやらが、部屋中一杯になるほど出て来た。北・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・大塚さんは根岸にある自宅から京橋の方へ出掛けて、しばらく会社で時を移した。用達することがあって、銀座の通へ出た頃は、実に体躯が暢々とした。腰の痛いことも忘れた。いかに自由で、いかに手足の言うことを利くような日が、復た廻り廻って来たろう。すこ・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・父は浦和から出て、東京京橋の目貫な町中に小竹の店を打ち建てた人で、お三輪はその家附きの娘、彼女の旦那は婿養子にあたっていた。この二人の間に生れた一人子息が今の新七だ。お三輪が小竹の隠居と言われる時分には、旦那は疾くにこの世にいない人で、店も・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・私は京橋へんまで車を引き返させて、そこの町にある銀行の支店で、次郎と三郎との二人のために五千円ずつの金を預けた。兄は兄、弟は弟の名前で。 私は次郎に言った。「これはいつでも引き出せるというわけには行かない。半年に一度しかそういう時期・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・々から火が上り、夕方六時近くには全市で六十か所の火が、おのおの何千という家々をなめて、のびひろがり、夜の十二時までの間にはすべてで八十八か所の火の手が、一つになって、とうとう本所、深川、浅草、日本橋、京橋の全部と、麹町、神田、下谷のほとんど・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・ 兄は、京橋の手前で、自動車から降りた。 銀座は、たいへんな人出であった。逢う人、逢う人、みんなにこにこ笑っている。「よかった。日本は、もう、これでいいのだよ。よかった。」と兄は、ほとんど一歩毎に呟いて、ひとり首肯き、先刻の怒り・・・ 太宰治 「一燈」
・・・ ご亭主の話に依ると、夫は昨夜あれから何処か知合いの家へ行って泊ったらしく、それから、けさ早く、あの綺麗な奥さんの営んでいる京橋のバーを襲って、朝からウイスキーを飲み、そうして、そのお店に働いている五人の女の子に、クリスマス・プレゼント・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
出典:青空文庫