・・・ 殊に自分は児童の教員、又た倫理を受持っているので常に忠孝仁義を説かねばならず、善悪邪正を説かねばならず、言行一致が大切じゃと真面目な顔で説かねばならず、その度毎に怪しく心が騒ぐ。生徒の質問の中で、折り折り胸を刺れるようなのがある。中に・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ただに死を恐怖しないのみでなく、あるいは恋のために、あるいは名のために、あるいは仁義のために、あるいは自由のために、さては現在の苦痛からのがれんがために、死に向かって猛進する者すらあるではないか。 死は、古からいたましいもの、かなしいも・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・啻だに死を恐怖しないのみでなく、或は恋の為めに、或は名の為めに、或は仁義の為めに、或は自由の為めに、扨は現世の苦痛から遁れんが為めに、死に向って猛進する者すら有るではない歟。 死は古えから悼ましき者、悲しき者とせられて居る、左れど是は唯・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・そんなら何も私なんかと逢ってくれなくてもよさそうなものだが、この町の知識人としての一応の仁義と心得ているのか、わざわざ私に会見を申込む。 ついせんだっても、この町の病院に勤めている一医師から電話が掛って来て、今晩粗飯を呈したいから遊びに・・・ 太宰治 「やんぬる哉」
・・・忠君愛国仁義礼智などと直接なんらの交渉をも持たない「瓜や茄子の花盛り」が高唱され、その終わりにはかの全く無意味でそして最も平民的なはやしのリフレインが朗々と付け加えられたのである。私はその時なんという事なしに矛盾不調和を感ずる一方では、また・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・上下挙って奔走に衣食するようになれば経世利民仁義慈悲の念は次第に自家活計の工夫と両立しがたくなる。よしその局に当る人があっても単に職業として義務心から公共のために画策遂行するに過ぎなくなる。しかのみならず日露戦争も無事に済んで日本も当分はま・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・いにその貧困を救助して仁恵を施し、その盗みたる銭物を分つに公平の義を主とし、その先輩の巨魁に仕えて礼をつくし、窃盗を働くに智術をきわめ、会同・離散の時刻に約を違えざる等、その局処についてこれをみれば、仁義礼智信を守りて一社会の幸福を重んずる・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・ その晩の夢の奇麗なことは、黄や緑の火が空で燃えたり、野原が一面黄金の草に変ったり、たくさんの小さな風車が蜂のようにかすかにうなって空中を飛んであるいたり、仁義をそなえた鷲の大臣が、銀色のマントをきらきら波立てて野原を見まわったり、ホモ・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・形式並に仁義の問題にかかっている。文学の本質の問題ではない。どうせ老仙国へ旅行するなら、幸田露伴のように飄々として居ればよい。横山大観、梅原龍三郎、やっぱり細川護立侯の顔を立てるとか立てぬとか。由来、日本の芸道の精髄は気稟にあった。気魄とい・・・ 宮本百合子 「雨の小やみ」
・・・演劇の世界が封建的なしきたりからぬけ切っていないことは土方与志さんのような世界を歩いて来た演出家でさえ、日本の今日の芝居の社会で口をきくときは東宝さん、何々さん、と昔風な仁義の口調をつかっておられるのを見てもわかる。文学の分野はすこし前進し・・・ 宮本百合子 「俳優生活について」
出典:青空文庫